鮒子田 寛レーシング・ヒストリー1周年記念
クイズ&アンケートを出して賞品を当てよう!!
クイズ当選者&アンケート発表!!

 この度は「鮒子田 寛レーシング・ヒストリー開設1周年記念クイズ」に多数のご応募を頂き本当にありがとうございました。10月から始めまして2ヶ月間、大変熱心なファンの方々からの解答とメッセージを頂き、本当に感謝感激でありました。

これからも同HP「鮒子田 寛レーシング・ヒストリー」を宜しくお願いいたします。 
今回行ないました問題の正解率ですが、下記のような結果となりました。 
全問正解者:40%、8〜9問正解者:30%、その他:30%という結果でした。 40%の方々が全問正解されたことになり、鮒子田さんご本人共々ビックリしている次第です。 
そして、メッセージも大変素晴らしい内容のものばかりで、鮒子田さんも大変感激されていました。 
また、応募メールを年齢別に分けてみると次のようになりました。 
 1)10代 15% 
 2)20代 なし 
 3)30代 23%(多分) 
 4)40代 32% 
 5)50代 15%(多分) 
 6)不明  15% 
という結果で、やはり鮒子田さんの現役時代を知っている30?50代前半の方が多いことがわかります。そして、これは予想された事ではありましたが、全て男性でありました。故・福沢幸雄さんであれば違うのでしょうけれど、こればかりはしょうがないですね。 
また、10代の方がいらしたのには正直驚いてしまいましたが、これもご家族(特に父親)の影響だったとコメントされていました。

当選者発表

(1)1/43スケール “ベントレーEXP SPEED 8”ミニチュアカー 3名様

藤波宏明 様、田中康夫 様、新井昭大 様

(2)チーム・ベントレー オリジナルTシャツ 5名様

滝口佳孝 様、鈴木 孝 様、可児 旭 様、中尾保彦 様、鈴木康啓 様

(3)残念賞 チーム・ベントレー オリジナルポストカード 2名様

 北島 徹 様、片野雅之 様

 本当におめでとうございました。賞品がお手元に届くまで今しばらくお待ちください。

鮒子田 寛氏へのメッセージ紹介
 
 ここでは、皆さんから頂いた鮒子田さんへのメッセージを紹介させて頂きます。
 
  鈴鹿でのレース観戦しか無く、若い頃(レースを見始めた頃・1975年以降)は大のニッサンファンだったこともあり鮒子田氏については雑誌ではお見受けしても実際のレースを見た記憶がないのが正直なところです。鮒子田氏と言えば何と言ってもあのおなじみのもみあげがもっとも印象に残っているという、レースと全く関係ないイメージで誠の申し訳ない次第です。ただ昨今はイギリスのベントレーチームで活躍して見えると聞いて驚きとともに嬉しくもあります。と言うのも、もともと箱のレースが好きでツーリングカーレースやプロトタイプが走るスポーツカーレースはマシンだけ見ていても楽しいのですが、最近のルマン参加プロト車両は屋根がないものばかりで少々がっかりだったところにベントレーが屋根付き(と言うかクローズドボディ?)のマシンで参加しており一挙にファンになったのでした。そのベントレーで日本人である鮒子田氏がご活躍と聞いてますますベントレーファンになってしまいそうです。是非是非来年のルマンでは優勝されますことを心からお祈りいたします。
K.Fさんからのメッセージ 
 私は19歳なので鮒子田氏のことはあまり知らなかったのですが。童夢のページで林社長がいろいろと、面白い昔話をおっしゃっていて、どんな人なのかなと思っていたのですが、このサイトを見るとすごい経歴ですね。ルマンでは鮒子田さんのベントレーと童夢を応援してます、がんばってください。
Y.Sさんからのメッセージ 
 現役のチームトヨタ鮒子田氏の走りをよく鈴鹿サーキットへ観にいきました。今も、モータースポーツ界の最前線で活躍されておられる事は、同年代の我々にとっても大変嬉しいですし、励みにもなります。
モータースポーツには参加はしていませんが、今も観戦しております。 
今日もオートポリスサーキット(今は大分県在住ですが京都出身です。)へ2輪レースの応援と車の仲間の集まりに行ってきたところです。
来年のルマンでの「チーム・ベントレー」の活躍、そして総合優勝をされんことを、期待して応援していきたいと思っております。では、ガンバッテ!下さい。
Y.Iさんから頂いたメッセージ 
 これからはもう少し日本のマスコミ(テレビやオートスポーツ誌等)に登場してください。中嶋 悟よりずっと以前にこんなすごい日本人ドライバーがいたことを牧野さんのHPを利用して若い世代の人達にアピールしてください。
M.Hさんから頂いたメッセージ 
 はっきり言って鮒子田さんのことは良く知りませんでした。このクイズを通してあの浮谷東次郎氏に匹敵する素晴らしいドライバーだった事を知りました。今後は国産チームをル・マン優勝へ導いて頂けたらと思います。
A.Aさんから頂いたメッセージ 
 はじめまして鮒子田さん、僕はまだ大学生なんで僕がまだ存在しない鮒子田さんの現役時代の事などは全く分からないのですが、去年の富士スピードウェイではじめ見たTOYOTA7と僕の家の実家がスピードウェイのすぐ近くにあることもあって僕の親父から30度バンクの事や、昔開催されていたレースの話など様々な話を聞いていて昔のレースの歴史みたいなものをもっと知りたいとは思ってはいたんですが、実家にはそういったレースの資料は全くないことで知る事ができませんでした。しかし、この牧野さんのサイトを発見する事で当時の様子が手に取るように分かりました。
ただ、昔の事を知れば知るほど、もっと早く生まれてればなーという後悔の念が強くなってしまいます。確かに今のレースを見ていてもつまらないと言う事はないんですが、今では考えられない程に高速なコースレイアウトのスピードウェイをあれほどの大排気量のマシンを駆って走っていたと言うのは本当に命がけで大観衆が詰め掛けるのも理解できます。本当にあの時代をリアルタイムで見られなっかたのが残念でなりません。そして来年こそはやはりベントレーを表彰台の頂点へ。個人的に過去2年間のマシンは自分が大好きだったCカーを彷彿とさせるのでとても好きなレーシングカーの一台です。これからの鮒子田さんのご活躍を期待しています。
Y.Tさんから頂いたメッセージ 
 私がレースを観るようになったのは、70年代後半からで、スズカがホームグラウンドだったため、実際に鮒子田サンのレースは見たことがないと思います(耐久は見たかも)。しかし、GCでの活躍はatやASを通じて知っています。米山さんなんかもそうでしたが、資金をやりくりしながら、クレバーな走りを見せてくれていました。
ベントレーでの活躍、期待しています。そして、いつかまた日本のチームが世界で戦うために働いてください。
Y.Nさんから頂いたメッセージ 
 僕はもともとTOYOTAファン(アンチ・日産)だったのでトヨタのドライバーは皆好きですが、特に鮒子田選手は、69年の日本カンナムのマクラーレントヨタから大ファンになりました。当時、ビッグレースでは日産に負けていたトヨタ(日産は、シボレーのエンジン積んだり、6リッター積んだり、優勝したら次は欠場したり、トヨタ1600GTを走路妨害にしたり何かイヤだった)を優勝に導けるのはオートコーストTi22に続き、予選2位
を獲得した鮒子田選手しかないと思い、応援したのを憶えています。結果は、トヨタ7が優勝しましたが、鮒子田選手ではなくちょっと残念だったなあ。
 翌年のアメリカでのFA・イーグルプリモス、非力な古いマシンで活躍、エンジンかミッションか何か一式を某ファンのアメリカ人がドネーションしてくれたという話が雑誌にのっていたのを憶えていますが、鮒子田選手の人徳なのでしょうか。
 最後に、73年のGCの結果の中で、故・中野雅晴選手が、YoshiakiとかYoshiharu Nakanoになってますが
Masaharuに訂正お願いします。中野選手もパブリカ、カローラ、スプリンター、FL500、GCと活躍してたのに
大ショックでした。それから浅岡重輝選手もShigeteruではなく確かShigeakiだったと思います。
Y.Tさんから頂いたメッセージ 
 私は年齢的にもレーサーとしての鮒子田さんの最後の方しか知らないのですが、GCシリーズで「鮒子田」をデザインしたあの特徴的なヘルメットが強く印象に残っています。
その後、トムスの監督がその鮒子田さんと同じ方だと知り、大変嬉しく思っていました。
毎年ルマンではベントレーのカッコよいマシンには注目しています。
また、日本からチャレンジするドライバー、チームが出るとき、そこに鮒子田さんの姿があったら良いのになぁ なんて勝手に想像したりしています。
H.Fさんから頂いたメッセージ 
 鮒子田さんとは、こちらは昔からの憧れのヒーローでしたがどういう訳か童夢のホームページでお知り合いになれました。
今年のルマンは厳しかったですが来年はもっと頑張って表彰台を取りに行ってください。
また、ホームページで会える日を期待しております。
Y.Kさんより頂いたメッセージ 
 通常日本の現地法人が買収された場合には、買収先に日本人は残れないと思います。しかし、鮒子田氏はその常識を覆してベントレーに迎えられたのはとても凄い事だと思います。これからもご活躍を期待しております。
T.Kさんより頂いたメッセージ 
 鮒子田さんの顔を見ると、人生を楽しんでいる中年の人のイイおじさんぽくて和みます。
これからも欧州と日本の自動車文化の掛け橋として頑張って(楽しんで)ください。
小生も、最近KARTを買い17年ぶりにサ−キットを走ってます。少し時間を取り戻しているような気がするこのごろです。
鮒子田さんのように仕事としてレ−スに関れなかった私からすると鮒子田さんの人生は楽園のように見えます。どうかこれからも中年に夢を見させてください。
S.Sさんから頂いたメッセージ 
 30年前のことが、昨日のように目の前に浮かんできます。
僕が鮒子田さんを拝見したのは1972年の鈴鹿グレート20でした。
黄色と緑のシェブロンB21が真っ白なローラの木倉善文選手とのデッドヒートは印象的でした。
あとで木倉選手のローラのノーズについていたタイヤ跡をみてそのすごさをあらたにしたことをよくおぼえています。
また今後の鮒子田様ならびに牧野さまのご活躍に期待いたします。
T.Sさんから頂いたメッセージ 
 山口正己さんのHPや童夢HPでたびたび楽しいお話(会話?)を拝見しています。
私は年齢的に鮒子田さんの現役は知りませんが今回クイズのヒントでもと拝見したこのHPは思わずのめり込んでしまいました。
時代背景もあるかとは思いますがレースに対する情熱がいかに熱くすばらしいものか、ヒント探しもそっちのけで読みいってしまいました。この情熱を今日のいまいちなレース界にも生かさせなくてはと、なまいきながらも思います。今後のお二人のご活躍と楽しい話を期待します!
TIMEレンジャーさんから頂いたメッセージ 
 実はこのホームページの存在は、鮒子田さん本人より紹介されました。
「私のホームページを作っている人は、今まで全く面識のなかった人でHPを通して知り合いました。全く良くできている。世の中にはスゴイ人がいる。是非みて。」とのこと。鮒子田さんとは、仕事上おつきあいさせていただいています。
3年ほど前に仕事の引き合いを頂いたのですが、その時点では鮒子田さんの事はほとんど知りませんでした。ただ、「栄光なき天才たち」というマンガがあるのですが、その中で”浮谷東次郎”を取り上げた中で、確か「鮒子田」(フシダと知らずフナコダと思ってました)という名前を見たような・・・まさかね、・・と思いつつお会いしたら、まさにマンガの中に出てきたフシダさんだったというようなレベルでした。
最初、英国人のプライドの集大成のようなベントレーを製作しているリーダーが日本人であることには驚きました。
ここ2年は、現実的にはアウディが強すぎて・・・というかパーフェクトすぎて、他が勝つことは困難でしたが、2003年はそのアウディのノウハウ、技術も注ぎ込まれる事になると思うので、勝利はかなり現実味をおびてきていると思います。
ルマンで優勝するって事はほんとに大変だと思います。ゆえに実現できたときは、歴史に残りますね。
H.Kさんから頂いたメッセージ 
鮒子田 寛氏から皆さんへ


 「鮒子田 寛レーシングヒストリー」のビューアーで、且つ、「レーサー・鮒子田 寛」のファンでもあった皆さんへ。

皆さんから沢山のメッセージを頂き、本当にありがとうございました。実際に私がレーサーであったのは四半世紀も前のことでした。当時、ファンとしてレースを観戦されていた人、雑誌や牧野さんのHPを通して、色んな人が、それぞれの方法で私のレーサー時代に触れて頂いたようです。そんな皆さんからの心のこもったメッセージは、今の、そして、これからの私の仕事に大きな力を与えてくれそうです。

私自身にとって、今の最大の目標は『ルマン24時間レース優勝』です。一言で目標は優勝と言うのは簡単ですが、ルマン24時間は皆さんの想像以上にハードでタフで困難なレースで、エベレストとか南極点を征服するようなものです。最高の機材(ルマンでは車)と周到な準備、完璧な体制、十分なテスト等々が絶対必要・必須条件です。来年、ベントレーは優勝を目指してルマンに挑戦します。私が関わったこれまでのルマンの中で、最も恵まれた体制での参戦となりそうで『ルマン優勝を自分のものとしたい』と云う(レーサーとしてではありませんが)、私の永年の夢が実現可能なところまで来ています。

これからも、牧野さんのHP、或いは、その他のメディアを通して、再び、皆さんと接する機会もあるかと思います。私は、出来る限り長く、レースの世界に関わって生きていきたいと考えています。そして、皆さんも、いつまでも熱心なレースファンであり続けてください。

最後に、『鮒子田 寛レーシングヒストリー』の主宰者で、熱心な(実際には熱心と言う言葉では、彼のレースを記録に残したい情熱を言葉で表すことが出来ないのですが)レースファンの牧野さんにお礼と感謝の言葉を贈りたいと思います。牧野さんは、私のこのHPだけではなく、手がける数多くのHPを通して、年月とともに、過去へと忘れかけられつつある日本のレースの歴史、レース界の先駆者達の足跡を掘り起こし、HP上で、発信・表現しつづけることで、多くの人々に新たな共感と感銘を与え続けています。これからも、いつまでも、レース界の歴史と、レースの発展に役立つ情報の発信を続けてください。

英国より、鮒子田 寛 

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