TOP : Lola T160(Leftside) & McLaren M12 by Kurosawa Racing Team.
(C) Photograph by Hirofumi Makino.
 1970年シーズンを振り返ると、69年のようなT.N.T(トヨタ、ニッサン、タキ・レーシング)対決はそれぞれの事情で実現せず、何か空白のシーズンを送ったような印象が強いです。その中、TETSU IKUZAWAの人気でかろうじて盛り上がった“JAFグランプリ”にしても、開催されはしたものの、グループ7の強烈な印象には程遠く、唯一期待していた第3回日本CAN-AMも中止となってしまい、日本モータースポーツファンとしては、次なる目標を掴めないままでの第4回東京レーシングカーショーの開催となったわけであります。
 開催されてみて感じたことは、今だビッグマシンを忘れることが出来ないとはいえ、あらたなカテゴリーと若手国産コンストラクターの台頭を感じることが出来たことは収穫でありました。
 この年、前年まで単発レースとして開催されていた富士スピードウェイのレースをシリーズ化する計画が発表されました。JAF主催ではない富士スピードウェイ主催での、プライベートチーム主体でのビッグマシンのレースを再現する。その時点で考えられる最大級のレースが“富士グランチャンピオンシリーズ”だったわけであります。
 それらに登場するであろうビッグマシンたちも当然このショーに展示されていたわけで、まずはそのマシンたちと、それまでファンたちを釘付けにしていたメーカーチームのマシンたちを紹介しようと思います。

(C)Photographs by Hirofumi Makino.
 まずは、70年大いなる飛躍を遂げた“風戸 裕”の愛機“Porsche 908 II”であります。
元タキ・レーシングの908スパイダーを駆り1970年の富士300マイルレースに出場した後、風戸は一つの英断に打って出ることとなりました。
自分で購入したこの908を使って、富士のレースに参戦すること。そして、71年より開催される富士グランチャンピオンにも引き続き参戦し、シリーズ総合優勝を狙おうと言うこと。さらに、このマシンを使い本場アメリカのCAN-AMシリーズへも参戦しようかと・・・。まさに、当時の風戸 裕は、時の人でありました。

 下の3台のビッグマシンたちは、正確に言えば、旧式に入ってしまう老兵たちでありますが、まだまだ日本では現役ビッグマシンたちでありました。特に、マクラーレン・トヨタとして活躍していたマシンそのものであった白いM12(当時は、まさかこのM12がマクラーレン・トヨタだったのかとは夢にも思いませんでした。)と、どうやら68年CAN-AM最終戦ラスベガス・グランプリにおいて、あのチャパラル2Gと絡んだモッチェンバッハのM6Bのシャーシが母体だったらしいとわかったこのブルーのM12は、特に印象深いですね。
後のミノルタ・マクラーレンは、この白い方のM12で、今もニュージーランドのヒストリックカーレースで活躍しています。
ブルーの方は、間違っていなければ、日本で当時のモッチェンバッハのM6Bの姿に戻り、ヒストリックカーレースで、その勇姿を見ることが出来ます。
 それにしましても、タナケン選手が現役最後の優勝を飾った由緒あるマシンのLola T160は、今どこにいるのでしょうか?


(C) Photographs by Hirofumi Makino.
 第3回東京レーシングカーショーの時にも書いたのですが、なぜにニッサンは、優勝車の#21を展示しないのでしょうか?
さらに、2回連続でリア・タイヤが細いままの仕様で出品するとはどういう神経なのでしょうか?!(本当に怒っているのですが・・・)
 それに比べて、トヨタは、川合稔の事故がありながら、ターボチャージド・トヨタ7を出品しているのを見ると、両メーカーのレースに対する姿勢が分かるような気がいたします。

 ということで、まだまだ沢山のレーシングカー、ツーリングカーなどが出品されていたのですが、なにせ当時の私のフィルムは、この程度しか写っておらずなかなか思うように説明できないまま終わることをどうぞお許しください。

さて、次のページは、これら展示車以外にも行われてた“モデルカーコンテスト”と、当時主催していた三栄書房のオートスポーツ誌で好評を得ていた“人気ドライバーベスト10”の結果などを紹介しようかと思っています。

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(C) Photographs by Hirofumi Makino.