師弟対決 !! 田中健二郎 VS 永松邦臣 そして、世界マニファクチャラーズ選手権の再現
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![]() 1970年1月18日、ここ鈴鹿サーキットは前日の猛雪とうって変って朝から晴天に恵まれ、まさにレース日和となりました。 しかし、コース上に雪が残るなどコンディションは良いとは言えず主催者の決断でクラス1-2ともに、300Km50周のレースを急遽210Km35周レースとして行うこととなりました。 まず午前中に、クラス1(排気量1300cc以下)のレースが行われました。 このレースの最大の注目は、本田博俊氏の力作「カムイ・ホンダ」VS「カーマン・アパッチ」の対決ではないでしょうか。 カーマン・アパッチと言えば前年の'69日本グランプリに出場した事でも有名であります。 エバ・カンナムとならんで当時の人気レースでありましたCAN-AMカーの雰囲気をふんだんに取り入れた実にカッコイイレーシングカーであったと記憶しています。 これらプライベーターとTMSCの見崎清志、蟹江光正の両ドライバーのパブリカがどう絡むかと言うのがこのレースの図式であります。 スタートでトップに立った見崎清志のパブリカを矢吹圭三(カムイ・ホンダ)と林将一(カーマン・アパッチ 右画像)がぴったりと後ろについたのはスタート後16周目のことでした。しかし、林のカーマン・アパッチがその周トラブルでピットイン。リヤアライメントのトラブルとのこと。 そして18周目、トップに立つかと思われたカムイ・ホンダはなんとダンロップブリッジあたりで白煙を上げてストップ。ラジエターホース破損が原因のよう。その後2車とも再スタートするもののトップは遥か彼方へ・・・。 トップ独走かと思われた見崎清志のパブリカに悪夢がやってきたのが20周目でありました。コンロット・ボルト破損で突然リタイヤ。 上位勢はレースの半分を過ぎて全滅の憂き目を見る波乱のレース展開となりました。 結局優勝したのはマイペースでレースを走った3Vワールド・スペシャルでありました。 下の写真は、スタート前のカムイ・ホンダであります。ヒッピー姿で指揮を取るのが本田博俊氏。 ホンダ・カムイのフロント部はあのヒノ・サムライの影響を受けているかのように美しい。開いているエンジン部カウルがなんとも面白そうであります。
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さて、注目のクラス2レースについては丁度このレースを観戦していた当時の鮒子田 寛氏が当時のオートスポーツ誌に「鈴鹿300Kmレース雑感」を書かれていたのでそのコメントを引用活用させて頂きたいと思います。
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(C) Photographs by Naofumi Ibuki.