The Suzuka 300Kms Race in 1970. 遅れて来たスーパーマシン「GT40」
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![]() 上のテクニカル情報は、「GT40」という本より引用活用させて頂いたものです。 まさに、このGT40はJ.W.エンジニアリングより納入されたレース仕様のものだったことがわかりました。 三栄書房発行の「オートスポーツ」誌1969年10月号のトップカラーグラビアに登場したイエロー地にホワイトストライプのGT40はヤマハに納入されたままのオリジナルカラーだったんですね!! ちなみにこのGT40 P/1077は、1976年発行のカーグラフィック誌4月号における「フォードGT40ストーリー」にも日本に現存するGT40として紹介されていますので、興味のある方はご覧になる事をお勧めします。 右の写真は、鈴鹿300Kmレース時のエンジン部を写したものであります。ガーニーウェスレイクヘッドを持ち、4基のウェーバーキャブレターで強力に武装されています。排気量は標準型の4700ccではなく、4942ccが載せられており、約415馬力を発生するモンスターマシンでありました。 ところで、ヤマハ発動機に納入されたのが1968年4月だったということは1つの見方が出来るのではないでしょうか。 ヤマハは当時トヨタのレース開発部門を担当、一連のトヨタ2000GT、トヨタ7などはすべてヤマハが開発したものでありました。そして、1968年、トヨタは打倒ニッサンという目標を立てて、5月の日本グランプリ制覇を狙っていました年でもありました。そして、新開発した3000ccV8エンジン(当時のインディで活躍していたDOHCフォードV8エンジンを参考にしたと言われている)を持つトヨタ7で挑戦。しかし、結果はシボレー5500ccエンジンを積んだニッサンR381の前に惨敗してしまいました。その後、トヨタはレース方針を変え、日本の長距離レースのほとんどに参加し、ほとんどのレースに勝利することになるのです。 そんな中にこのGT40がデリバリーされたということは、かなりこの車からのノウハウがその後のトヨタ7開発に影響を与えたといっていいのではないでしょうか。その後のマクラーレンM12の購入などもその最たる例ではなかったかと思われます。また、コスワースDFVエンジン購入もまたしかり・・・。 (C) Photograph by Naofumi Ibuki. |
![]() TOP : The GT40 P/1077. ![]() TOP : Rear end of GT40 with aluminium air spoiler. ![]()
オリジナルだったイエローにホワイトストライプカラーから、J.Wエンジニアリングカラーに近いスカイブルーにレッドのストライプカラーに変身したGT40 P/1077。必死にドライビングするベテラン田中健二郎の腕を持ってしても、セッティングの決まらないGT40では好調の永松908には遠く及ばませんでした。 |
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(C) Photographs by Naofumi Ibuki.