90周に及ぶ「第3回日本グランプリ」は、500Kmの長丁場、3人は、そろそろ昼御飯でも食べようとヘアピンに行く前にピット裏手にある食べ物街へと向かった。ピット裏手にある食堂街は、まるで即席のテント村のようであった。そこら中にあるスピーカーからは、今流行の“ボンチャーズ”や“外山雄三”のエレキサウンズが流れ、まるで真夏の白浜の海岸のようだ。凡野少年らは、長蛇の列が続く食べ物屋を見て、「こりゃ、いつ食べられるか分からないなぁ・・・」と困り果てていた時、後ろから声がかかった。
「うちのピットにいらっしゃいよ!」西次郎のお姉さんだった。3人は、感謝しながら手作りのおにぎりを頂いた。
「うちの西次郎は、このおにぎりが大好きなんです。スタート前に、ピットインした時に食べたいって言ってたんですよ!」
一人っ子の凡野少年は、本当にやさしいお姉さんだと思い、西次郎が羨ましいと思った。
充分ご馳走になり、お礼を言いながら3人は、再びヘアピンコーナーに向かって歩き出した。
ここからは早足でも20分はかかる。

TOP : 快調にトップを走るブルース・マクラーメンのホードGT。

 3人の行動とは関係なくレースは、25周目に入っていた。そろそろ各車給油の時間が迫っている。
現在のトップは、ブルース・マクラーメンのホードGT。そして、20周を過ぎてから立て続けに最高ラップを出して追い上げるピーター・バロックのギヤ・デトマーが5秒差で2位。
オンドロッティが3位。さらに、半周ほど遅れて生縄 徹のプリンセスが続く。
浮山西次郎のローター40Bは、18周目一時生縄の後ろについていた。しかし、巧みな生縄のブロックにあい、どうしても前に出れないでいた。そして、19周目のヘアピンで、ややアウト側に膨らんだ生縄のインを突きパスしようとした時、生縄がインに寄って来たのだ。そして、両者接触かと思われた瞬間、西次郎が間一髪イン側グリーンに逃げ込んで事なきを得たのだった。しかし、次の瞬間、西次郎は痛恨のスピンを喫してしまう。いや、スピンして難を逃れたと言った方が良いかもしれない。
一瞬、西次郎のエンジンが止まったかと思われたが、次の瞬間「ヴォ〜ン」とエンジンが掛かり、約15秒でコース上に復帰。しかし、順位は、5位から10位に落ちていた。
 30周目、トップのホードGTが給油とドライバー交代のため、ピットに入ってきた。
テンガロンハットのキャロ・チェルビーが盛んにピットマンたちに指示を与えている。ドライバーは、マクラーメンからフィル・ヨルに変った。
フィル・ヨルは、1961年にアメリカ人としては、初めてのF1ワールドチャンピオンになったドライバーだ。昨年のルーマンでは、ホードGTを駆り、最高ラップをマークしている実力派でもある。
ホードGTは、燃料補給とタイヤ交換を終え、約2分でコース上に復帰して行ったが、このピットストップの間に、ピーター・バロックがトップに立った事は言うまでもない。
ホードGTの燃料タンクは、約200リッター入るものだが、ギヤ・デトマーは、レーシングスポーツ仕様のため、300リッターのタンクを持っている。タンクだけの比較だとギヤ・デトマー有利であるが、ギヤ・デトマーは元々スプリントタイプのレーシングカーとして開発されたもので、果たして500Kmの長丁場を走りきれるかが今後の鍵だと思われる。
反対に、ホードGTは、耐久レース用に開発されたマシンであり、両車の比較は簡単には出来そうにないが現状だ。
35周目、フェラーラが給油のためピットインしてきた。
同時に、オンドロッティから、オドロキゲスにドライバー交代も行い、約3分でピットアウトして行った。フェラーラ製V12気筒エンジンは、今だ快調そうだ。


TOP : オンドロッティから、オドロキゲスにドライバーチェンジを行い、快調にトップを追うフェラーラ365 P2。

 やっとのことで、ヘアピンコーナーにたどり着いた凡野少年たち3人は、間近で見るレーシングカー同士のデッドヒートを金網越しにひたすら見つめていた。そして、凡野少年は、愛用の“フジペットEE”カメラを取り出して盛んにシャッターを切りまくっていた。このカメラ、シャッターを切った後に、必ずフイルムを巻き上げなければならないのが頂けない。焦って撮っていると、巻き上げるのを思わず忘れてしまうのだ。そうすると、二重撮りという最悪の結果を招いてしまう。
 

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(C) Photographs, written by Hirofumi Makino.