“「くるま」村の映画館” 
THE SPECIAL REPORT OF MODEL SPEED LIFE 
THIS MOVIE BECAME LEGEND !! 
"RED LINE 7000" 
“レッドライン7000”
ストックカー・ブームは、全てこの映画から始まった!!

TOP: A MAIN TITLE OF MOVIE.

 何度この映画を見たいと思ったことでしょうか!?
今まで、レース関係の映画といえば、1971年度作品でリアルさを売り物にした名作、スティーブ・マックイーン製作、主演の「栄光のル・マン」、イブ・モンタン、三船敏郎らが出演した「グランプリ」、ポール・ニューマン製作、主演の「レーサー」、そして異色の内容で話題をさらったフランス映画「男と女」などが有名でありますが、ことアメリカでインディ500マイルレースよりも人気のある「ストックカー・レース」を扱った映画となると、ここに紹介する「レッドライン7000」しかありませんでした。
丁度公開時が、日本で大爆発したモデルカー・レーシング・ブームと重なる1965年だったために、一躍「アメリカン・ストックカー」は時の人(!?)となったのでありました。
 当時、この映画を見て、モデルカー・レーシングにおける「ストックカー・レース」を始めた人も少くないはずであります。
さて、今回「モデル・スピードライフ再現第2号」のテーマが、「ストックカー」であるところから、久々となる”「くるま」村の映画館”第4弾として御紹介しようと思います。
 “「レッドライン7000」解説” 
1965年度作品で、監督は、あの「暗黒街の顔役」、「紳士は金髪がお好き」、「リオ・ブラボー」、そして「エリドラドー」で有名な“ハワード・ホークス(1965年当時69歳)”です。ところで、ハワード・ホークスは、1912年から16年までレーシング・ドライバ―をしていたというレース・マニアであったことから、今回の企画は、長年の夢が叶った映画であったことだと想像出来ます。
 ところで、この映画の製作費は200万ドル(1965年当時7億2千万円)という洋画としては比較的安い製作費で作られています。何故そんなに安く作ることが出来たのかの秘密は、スポンサーの多彩なタイアップにありました。
 モ―テルは、「ホリデー・イン」、レンタカ―は、「エコモ・カ―」、計測器時計は、「ローレックス・デイトナ」、タコ・メーターは、「サン・スーパー・タック」、タイヤは、「ファイアストン」、オートバイは、「ホンダ」、飲料は、「ペプシ・コーラ」、ガソリンは、ピュア―・オイルの「ファイヤー・バード」、モデルカー・レーシングは、「レベル」、そして、フォード・マスタングやデイトナ・コブラ他のレースカーは、「フォード」が担当するという多彩なタイアップが功をそうし、このような低予算による映画製作が可能になったという訳であります。

TOP: First scenes of this movie.

TOP: This is a rolling start at Daytona in 1965.
 “キャスト” 

TOP: James Caan(Leftside), Norman Alden(Mid), and James Ward with Gail Hire.

 TOP: Marianna Hill(Leftside), Laura Devon, and Gail Hire.
上の画像は、主な出演者の顔ぶれですが、“マイク・マーシュ”役を演じた“ジェームス・カーン(上段左)”は、当時TVなどで活躍中の新人男優でした。そして、チーム監督“パット・ガザリアン”役の中堅的存在である名優“ノーマン・オルデン(上段中央)”は、「底抜け大学教授」などのコメディなどに出演しているベテラン俳優です。
また、上段右の“ジェームズ・ウォード(助手席側)”は、「特攻決死隊」などに出演しているベテラン俳優で“ダン・マコール”役を演じています。そして、映画で異色な存在として注目されていた“ゲイル・ハイヤー”は、当時のトップ・モデルであり、この「レッドライン7000」が初出演で、彼女と付き合うと次々と死んでいく疫病神的女性役を演じています“。
下段の左から、フランス人役で“マイク・マーシュ”を魅了する“ガブリエル”役を演じているサンフランシスコ生まれの“マリアンナ・ヒル”。「ハワイアン・パラダイス」「地上最大のショー」等のTVドラマに多数出演。
そして、この映画中一番の純情派女性を演じた“ジュリー”役の“ローラ・ディポン”。彼女は、当時「ヒッチコック劇場」「ルート66」などにも顔を出している人気女優。憎まれ役のJohn Robert Crawford(ジョン・ロバート・クロフォード)演じる“タッド”を愛してしまう役を演じました。
“ストーリー” (当時のプログラムから引用活用させて頂きました)
 レース・ドライバーのジム・ルーミスはデイトナのレースで事故を起こし即死した。
ジムの同僚マイク・マーシュとチームのボスであるパットが葬式の後モーテルに戻ると、ジムの部屋に1人の女性が泥酔して寝ていた。ジムと結婚するためカリフォルニアからやってきた婚約者のホリーであった。以前にも婚約していたドライバーを事故で失っていたので、ジムの死をまるで自分の責任のように感じ、悩んでいたのだった。
 数日後、ダーリントンのレース場のドライバーだったと自称する若くてドライなドライバー“ネット・アープ”が、ジムの後釜に雇ってくれと言ってパットの前に現われた。そして、テストの結果、採用することになったのだった。その時の後押ししたのがパットの妹である“ジュリー”だった。そして、必要なネットのアタックに、純情なジュリーは、次第に惹かれていく(画像右)。
 一方、ジムの死から立ち直ったホリーは、ジムが彼女の為に残した生命保険金を元手に、リンディという女性の経営するカフェの共同経営者におさまった。このカフェは、ドライバーたちが集まる溜まり場だった。
その彼女もある日、偶然パットに招かれてパリからやって来たドライバーの“ダン・マコール”と知り合った。ダンは一目でホリーに惹かれ、フランスから一緒について来た“ガブリエル”というガールフレンドがありながら、彼女と別れてホリ―に求婚するほどの熱心さだった。
しかし、ジムに死なれて頑なになっていたホリーは、ダンの愛を受け入れようとしなかった。
 一方、ダンに去られたガブリエルはマイクに興味を持つようになった。
ダーリントンの大レースが行なわれネッドはついに優勝した。これを喜んだジュリーはネッドのために自宅で祝賀パーティーを開いたが、夜がふけてもネッドはついに姿を現さなかった。優勝して有頂天になった彼は、ジュリーのことなんかそっちのけで、外で優勝を祝っていたのである。そんなジュリーを不憫に思ったパット・カザリアンは、ネッドのひどい仕打ちを責め、ジュリーを愛してなければ彼をキャンプ(チーム)から追放してやると罵倒した。
その結果、翌朝、ネッドはキャンプから姿を消した。
 マイクはガブリエルの積極さにひきずられてズルズルと関係を深めて行きながら、その反面彼女との愛にある抵抗を感じるのをどうすることも出来なかった。彼はガブリエルに好意と欲望を感じるのだが、彼女がダンの彼女であったことがどうしても許せなかったのだった。
 それとは反対に、ダンは何回断られてもホリーを説得することをやめなかった。その努力が実を結んで、彼は遂にホリーに結婚を承知させるところまでこぎつけたが、今度は別の問題が発生したのだった。
それは、ガブリエルからの連絡だった。ある日、彼女自身がダンの部屋から出てくるのをマイクが目撃し、2人の中を誤解して怒り心頭し、ダンに対して何をしでかすか分からないから気を付けるようにととガブリエルからの報告がダンにあったからだった。
 シャロットのレースが行なわれた日、ガブリエルの恐れていた事態が遂に発生した。マイクとダンが猛烈に先頭争いを演じていたとき、マイクがダンの車の進行を故意に妨害したのだった。その瞬間ダンは塀に激突、トラックの外に投げ出されてしまったのだ(下の画像)。

しかし、ダンは奇跡的に軽傷を負っただけで助かった。ダンとガブリエルのことは誤解であることを知ったマイクは、自らのとった行動を深く反省しいかなる裁きにも服するつもりでダンの前に立った。
ダンは力いっぱいマイクを蹴りつけただけで、いさぎよくマイクの罪を許した。これで2人の友情は元に戻り、マイクもガブリエルと結ばれたのだった。
 デイトナ・レースがまじかに迫った頃、ネッドがレースに出場のため町に帰ってきた。ネッドはジュリーの前で平然と女の子とイチャついて、ジュリーを嘆かせたが、ジュリーはネッドがこのレースで事故を起こし、瀕死の重傷を負ったことを知ると、たまらなくなって病院に駆けつけたのだった。ネッドはジュリーに手首のない左腕を見せた。それにも関わらず、ジュリーの彼に対する愛情が少しも変わらないのを見て、ネッドはジュリーの涙ぐましい励ましを受けて、義手はめてレーサーとしてカムバックするのだった。
 これでパット・カザリアンのドライバーたちはみんな元気で仕事にカムバックすることになった。ベンチ(グランド・スタンド)では、彼らの美しい恋人たちが観戦していたことは言うまでもない。

 この映画は、3組の男女が織り成すドラマを中心にした恋愛ドラマでありました。しかし、私は、この映画の持つレースのリアリティは、あの「栄光のル・マン」、「レーサー」に次ぐものではないかと感じてしまいました。アメリカン・ストックカーという地域特産物(!?)を題材にした映画ではありますが、当時、ベールに包まれていた「ストックカー・レース」の現状を映画をとおしてではありますが、1960年代の日本で垣間見れたということで、まさにそれは1つの“カルチャー・ショック”だったのではないかと容易に想像出来ます。
 そして、アメリカン・ストックカーにおいての当時スター“リチャード・ペティ”の特別出演もファンには、応えられないものでした(右画像)。
そして、何よりも興味深かったのは、劇中“モデルカー・レーシング”で遊ぶ場面が登場したことではないでしょうか。
レベル社の協力のもとに特別に作られた2レーンのホーム・サーキットで遊ぶ大人たち!!
まさに、1965年のアメリカでは、モデルカー・レーシングが大人にも浸透していたこと、そして、生活の1部となっているほどのブームだったことが何よりもこの場面により、明確に証明されています。

さらに、コブラ・ファンやマスタング・ファンには、応えられない“デイトナ・コブラ”と“シェルビー・マスタング350GT”などの登場です。それも自家用車として出てくるのですから、本当に驚いてしまいました。
これほどの映画でありながら、残念ながら高い評価を得られていないのは、レース映画としての宿命なのでしょうか。
しかし、この映画により、60's日本モデルカーレーシングのストックカー・レースがブレークした事実は、偽りのないことでありました。1966年に発行された「モデル・スピードライフ」においてこの映画の解説記事が掲載されていたことが何よりの証拠ではないでしょうか。
END

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(C) 13/DEC/2000 Photographs, Textreports  by Hirofumi Makino