「68年日本グランプリ」-------68 JapanGP at Fuji in 1968 

 1968年、名称は変わりましたが、5回目のGP。生沢さんは諸事情から「TAKI RACING TEAM」からエントリー。
急拠出場したフォーミュラのレースには結果失格にはなってしまいましたが、ガス欠を心配しなければ一位でしたよね。写真は 燃費を考慮しギリギリまでエンジンをかけないで待つスタート直前の徹さん。本戦GPレースでは2リッターのカレラ10での出場。大排気量のニッサン、トヨタを相手に堂々の2位、クラス優勝になります。さすが徹さん!
300ミリで左側から撮ったカレラ10のアップの写真は、私のお気に入りのカットです。多分S字コーナーの外側からのものです。この頃までは、結構コースの近くまで行けたんです。
 

Brown Bear Special and Porsche 910 driven by Tetsu -----

       

               TOP : 68 Nippon Speed Cup Races of Tetsu & Brown Bear SP in 68 Japan GP.

 


 

                 TOP : Tetsu Ikuzawa & his Porsche 910.
                    He gots a 2nd place of overall.


      
 
              

 
 
           TOP : #24 Nissan R380II (H.Oishi) & #19 Nissan R381(Y.Sunako)..

               
                             TOP : Winner #20 Nissan R381driven by Moto Kitano.
 

 
「68年日本Can−Am」-------Nippon CanAm at Fuji in 1968

 同年11月23日、66年のインディ500についで、又もアメリカからモンスターマシーンがやってきました。やはり30度バンクは使わない左周りのショートコースで戦いました。迎え打つは3リッターのトヨタ7、タキレーシング5リッターのローラでした。
トヨタ7の鮒子田さんは9位、福沢幸雄の4位は立派でした。しかし彼は翌年、袋井(私の住む浜松の隣の市)のヤマハのテストコースで、新型のトヨタ7のテスト中に事故死してしまいました。私もここのカートコースをカートで走ったことがあります。今でもこのテストコースでは、時々ヤマハ主催のイベントが開かれています。ちなみに、トヨタ2000GTはヤマハが開発したことは、知る人ぞ知るエピソードですね。地元の関係者の話では、まだ2000GTのボディの金型が浜松のどこかにある、という話です。
 

1968 Nippon CAN-AM ( The World Challenge Cup Fuji 200 Miles Race) --------

  
       TOP : Winning #52 Shelby American Racing "McLaren M6B Ford" driven by Petter Revson.

           
               TOP : #28 Tadashi Sakai & his Lola T70MKIII and #32 Toyota 7 driven by Sashio Fukuzawa.

         

                     
                              TOP : #31 Hiroshi Fushida and his Toyota 7.

              
                 TOP : #35 Toyota 7 driven by Minoru Kawai. He won the race next year.
 
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