「69年JAFグランプリ」-------JAF GP at Fuji in 1969  

 徹さんは自らの「テツ・イクザワ・レーシングパートナーシップ」から三菱COLT F2Cでのエントリー。さすがのポールポジションからのスタートでしたが、13周でマシーントラブルリタイアとなってしまったのでした。残念!この時はカラーフィルムを用意して行ったのでしたが、あまり沢山のカットは撮れませんでした。S字コーナー、ヘアピン位でしか撮る時間がありませんでした。カラーネガでしたが、ご覧の様に劣化しています。
 

TOP : Tetsu Ikuzawa and his "COLT F2C".
He gots a Pole position !!

                      TOP : "COLT F2C" driven by S.Kato. He had a 3rd place of overall.
            
                                 TOP : Gary Cooper and his Elfin 600.

 
「69年日本グランプリ」------69Japan GP at Fuji in 1969  

 徹さんの出ないレースとなった6回目の「グランプリ」、ニッサン、トヨタ、タキレーシングが争ったビッグマシーンの大会でした。徹さんが居ないので、撮影にも余り力が入りませんでしたが、タキレーシングのPORCHE 908の田中健二郎,917のジョー・シファートを中心に、R382の黒沢、振るわなかったトヨタFたちを撮影しました。バンクから下ったS字の入口あたり、S字、ヘアピンで撮っています。タキさんを応援するも、大メーカーの力まかせのレースは、迫力はあるのですがどうしても大味な感じがしたのはいなめませんでした。なにせ 徹さんが居ないしね。
 



TOP : First group of early laps in 69 Japan GP .
#20,21,23 Nissan R382, #7 Vick Elford & Toyota-7 etc.

                TOP : 69 Porsche 917 driven by Joe Siffart.
              
                                TOP : The owner of this 917 is David Piper.


TOP : 69 Porsche 908 Spider driven by Kenjiro Tanaka.


TOP :This is"Hans Hermann". He was one of Porsche works drivers.
Kenjiro Tanaka ran Fuji sooner than he.


TOP : #20 Nissan R382 had a "V12 6000cc engine". Driven by Moto Kitano.
He gots a 2nd place.



TOP : Vick Elford and Toyota 7.
He had a 5th place.that he decided to drive to Toyota 7 under a spot contract in 69JapanGP.


TOP : Hiroshi Kazato and Porsche 910.
 

 「70年JAFグランプリ」------ JAF GP at Fuji in 1970  

 「TETSU IKUZAWA RACING―PERTNERSHIP」から、コルトF2Dでエントリー。車体のゼブラ模様が話題になりました。これはメインのスポンサーであった「VAN JACKET」が当時おこなった販売促進キャンペーンの一環でした。
応募したお客様に抽選で1等は何と「ゼブラ柄のセスナ」(本物の飛行機です)その他、スバル360ヤングSSとかスゴイ賞品が当たるキャンペーンでした。実際には景品法によりさすが飛行機は高すぎたようで、セスナはボツになりましたが・・・。VANはやることがスゴかった。そんな時代でした。
レースは8周目に電気系統のトラブルでリタイヤ。残念!私も今回はカラーフィルムを用意してヘアピンで狙ったのですが、数カットしか撮ることができませんでした。
 


        
                        TOP : "COLT F2D" R39 engine driven by Tetsu Ikuzawa.
 

TOP : Cessna for campaign prepared by VAN.
           

                  TOP : Winning Brabham BT30 FVC driven by the F1 world champion "Jackie Stewart".

「71年日本グランプリ」------71 Japan GP at Fuji in 1971  

そして最後に撮った71年日本グランプリ。
 


TOP : Tetsu and his "Lotus 69 FVC".
Tetsu gots a 3rd place.

 そして------


 その後[鈴鹿サーキット]等にも何度か撮影に行きましたが、仕事も忙しくなり、レースからだんだん遠のいていきます。フジのグラチャンは全く行っていません。F1のセナ/プロの戦いは鈴鹿に何度か行きましたね。
しかし近年のサーキットは当然ながら規制が厳しくなり、いい撮影ポイントは取れなくなります。そしてテレビのF1中継観戦中心になりましたね。

 そして、2016年 遂に念願だった生沢さんにお会いし念願のサインをもらうことができました。
2016年5月22日、千葉県袖ケ浦[フォレスト・サイドウェイ]にて生沢さんにお逢いし、前述の4回日本グランプの写真パネルにサインをいただく事ができました。(下記写真)
実際には、その場でサインしてもらうつもりでしたが、生沢さんは「この写真を複写したいので持ち帰りサインして送り返します」とのこと。(この写真のネガはコンテスト入選の際、三栄書房に提出して手元にはないのです)。そんな話の中、ほかのネガもあれば貸してほしいとのこと、聞けば徹さんは今までの自分のレースの資料を集めているのだそうです。ネガは劣化してしまうのでデジタル化しているそうです。徹さんのヨーロッパ時代の写真はジョー・ホンダさんが撮ったものは全て所有しているのだそうです。
そして、前述の「ゼブラ柄のコルト」の話の中、あのコルトのカラー写真は持っていないとのこと。
そんなわけで後日、徹さんのお役に立てばと、その他数十枚のネガをお貸ししたのです。
生沢さんからは、時々メールが来ます。そして、素敵な年賀状を2017年、2018年と送っていただきました。

思えば私の若かりし頃、日本のモータースポーツ黎明期に関わることが出来て、本当に幸せでした。そして、あの生沢さんの1枚の写真を撮っていなければ、私の人生もまた違ったものになっていたことでしょう。

 少し、私の幼年期の話をしましょう。
実は私の父親は麻布の出身で、戦前ですが、浜松へ養子に来た人でした。母の実家は江戸末期から浜松で倉が3つある程の大きな玩具屋をやっていました。戦災で消失しましたが、戦後は父が歯科医師だったので、医院を作ったのですが、42歳で肺結核で亡くなりました。私6才のときです。まあ、こんな話は戦後には日本中にあったのですがね。でも、母の「玩具店」、手先の器用だった歯科医師の父、何となく両親のおかげでこのようなめぐり合わせになったような気もしますね。
 下の写真は、大正か昭和初期の「丸一玩具店」と当時50歳台の曾祖母です。丸一の商標はオグラデザインのマークにしました。

 仕事も一区切りのついた最近は、13年乗り続けている「ALFA147(MT)で、今でも箱根とか伊豆スカイラインを「走り」に行っています。 「73才、RACING−SPIRIT今だ衰えず」 です。
                       
                                                 
2018年 2月 小倉 洋
 

大正か昭和初期の「丸一玩具店」と当時50歳台の曾祖母
TOP : "Taisho or early Showa" "Maruichi Toy Store" and then 50-year-Great-Grand-Mother.
 
 
 TOP : Legendary Tetsu Ikuzawa and me in 2016.
A dream shot has come true

END

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