「第4回日本グランプリ」-----The 4th Japan GP at Fuji in 1967

 1967年、5月、私は再び「フジスピードウェイ」に向いました。
このレースは生沢さんにとっても、また、おこがましくも私にとっても大きな意味を持ったレースとなりました。日産と合併したプリンスは生沢選手を排除。徹さんはプライベートでエントリーします。そして数々のエピソードを残し、徹さんは見事優勝。伝説のレーサーになったのでした。



TOP : Tetsu & his Porsche 906 and Don-nico's LolaT70.


 



TOP : Tetsu "Running the top ! "




TOP : Tetsu's rival was Tadashi Sakai who participated in the same 906 as Nissan Team's R380 II.

 さて今回私は、ほぼヘアピンに撮影ポイントを絞り生沢さんを中心に狙いました。
この年、モーターファン主催の[グランプリフォトコンテスト]があることを知り、私は何枚かの写真を応募しました。そして3点入選したその中の一枚「ヘアピンに入る生沢選手」が見事「推薦」になったのです。それまで何事においても「一番」などになったことのない私にとって夢のような出来事でした。賞金は5万円!今の金額にすると300,000円以上でしょうか。スゴ!

 



TOP : Mr. Ogura won the photo contest on the 67 'Japan Grand Prix which was held in 1967.
The organizer was Sanei-Shobo which issued motor fan magazine & auto sports magazine.

 
 翌年、「モーターファン1月号」付録に、プロのカメラマンが撮った世界のレースシーンをカレンダーにした「1968MOTER FAN CALENDAR」出ました。そして光栄なことにその5月のページに、私の生沢さんの写真が使われたのでした。(下の写真参照)

 



TOP : His photograph appeared in the calendar of the January 1968 issue of motor fan magazine.

 

 また写真も昨年のVANSHOPに採用していただき、その資金でこんどは念願の「NIKON−F]を購入したのでした。このニコンでは、「ニッコールクラブ」に入会、そこでも「一席」(別紙モデル写真)もいただき、クルマ以外の写真も撮り始めました。

 


(C) Photographs by Hiroshi Ogura.
 

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