「くるま村の達人」
第5回
 Tetsu Ikuzawaの走りに魅了された男
「伝説となった写真たち」
 
小倉 洋(オグラ ヒロシ)の世界


 
今回登場いただくのは1967年度“モーターファン誌&オートスポーツ誌(三栄書房)主催 
1967年日本グランプリ フォトコンテストで見事優勝したレジェンドを紹介します。

 

 昨年のホビーフォーラム2017における当方ブースに模型以外展示として参加していただいた“小倉 洋”氏は、日本モータースポーツ界のパイオニア的存在の“Tetsu Ikuzawa”に憧れ写真を撮ることを始めたエンスージアストであります。
数年前、ウェブサイト「くるま村の少年たち」宛てに連絡を頂いたのが縁となり、異種コラボレーションとしてあえて車模型のイベントではありますが、参加していただきました。 当クラブ「くるま村少年団」の主旨は模型への追求というよりは実車あっての模型ということでありましたので、なんら問題なく小倉氏の作品を展示していただきました。
 今回、氏の作品を当方サイトに掲載して頂くこととなり、誠に感激しています。この場を借りまして小倉 洋 氏にお礼を申し上げます。
では、下記より小倉氏自らのコメントでレース年代順に紹介して頂こうと思います。貴重な写真と共に皆さん当時へタイムスリップしてください。
 
                      
 「第3回日本グランプリ」------The 3rd Japan GP at Fuji in 1966

 ホンダ、ヤマハ、スズキを産んだバイクの聖地、静岡県浜松市に生まれた私は、中学の同級生に本田宗一郎の息子がいて、スーパーカブのスポーツタイプ、[スポーツカブ]を自慢気に見せられたり、町にはヤマハの「赤とんぼ」、「ホンダドリーム」などが走りまわっていたそんな時代。兄はヤマハに勤務し、初期のレース関係の部門にいた。そんな環境の中、私もおのずとクルマに興味をもっていったのでした。
1966年、私の就職した会社に、クルマ好きの先輩が居て、あの「第3回日本グランプリ」に連れて行ってくれたのでした。その先輩の空冷800ccトヨタパブリカに4人乗り、夜の1号線を「フジスピードウェイ」へと向かったのです。私 21才の時でした。
そして、はじめて観た自動車レース。生沢選手のいるプリンスR380勢と、滝進太郎のカレラ6、トヨタ2000GT、ダイハツP−3等々が戦った伝説の名レースです。
 


                    TOP : #11 Winning Prince R380 by Yoshikazu Sunako.


TOP : Back style man is "Tetsu Ikuzawa"with #8 his Prince R380. 


 私は、兄から借りたアサヒペンタックスS2に、これまた借り物の135ミリの短い望遠をつけ、始めてのレースを撮りました。もちろんカラーフィルムは当時の私には高嶺の花で、モノクロフィルムでの撮影です。しかしこれが逆に幸いして、今も残るフィルムは白黒フィルムだからこそ、劣化もせずプリントに耐えたのです。
最近の「FISCO」は知りませんが、当時は各コーナーへの通路は、火山灰でザクザクの道、グランドスタンドでスタートを撮影し、即ヘアピンまで移動しなければならないのですが、それが大変。移動する観客たちで大混雑。コースの下をくぐるのは直径2m位でしょうか、まあいってみればでかいドラム管です。ほこりだらけになりながらコーナーへ急ぎます。そしてヘアピン。見た事もないレーシングカーが爆音を響かせコーナーに突っ込みます。
 


TOP : The 2nd place #10 Prince R380 driven by Hideo Ohish in 1966.




           

                       
                         TOP :#8 Prince R380 driven by Tetsu Ikuzawa.

 このようにして撮影した、始めてのカーレースの写真、私がよく行っていた地元の「VAN SHOP」のマスターが、ノベルティに採用してくれたのです。VANといえば当時日本中の若者たちの人気メーカー。このあと生沢さんのバックアップをしたり、徹さんのレース活動に大きな貢献をした会社です。
このヘアピンの写真を、兄貴と押入れの中でプリントし、パネルに貼りお店に納めたのです。その資金で「タクマー300mm」を購入、翌年の「第4回日本グランプリ」に備えたのでした。
 



TOP : ASAHI PENTAX S2 & Takumar 300mm.
These were his weapons.
  

 
「日本インディ」-----Nippon Indy at Fuji in 1966.

1966年10月。とんでもないレースがやってきました。「日本インディ」です。
アルバイトで購入した300ミリの望遠という強力な武器を手に入れた私は再び「FISCO」に向いました。
伝説のレーサー グラハム・ヒル、ジャッキー・スチュワート、ジム・クラーク、マリオ・アンドレッティなどすごいメンバーが来日したのです。残念ながらジム・クラーク、アンドレッティはマシントラブルで出走しませんでしたが。
グラハム・ヒルにはあの「VAN JACKET」がスポンサーとなり、LOLA OFFYゼッケン26での出場だったのですが、これもマシントラブルでスペアカー(ゼッケン24)での出場となりました。
 

 別紙写真の当時のVANのポスターには、かっこよくステッカーが貼られクルマが、しかし実際に出走したクルマは急拠貼られたVANのステッカー1枚というさみしさ。さらに、あと5周というところでエンジントラブルでリタイアという不運に。優勝はジャッキー・スチュアートでした。写真はヘアピンから立ち上がったフォメーションラップ、石灰の白煙の中を轟音を上げて迫ります。本場インディにならいFISCOを左周りしました。このカットはあとから[オートスポーツ]の表紙の写真とほぼ同じ位置から撮られていますので、きっと横にプロのカメラマンが居たのですね。でも、素人の私がよくこんな位置まで行けたものです。当時はまだおおらかだったんですね。
よく見ると、ヒルのクルマはボディが左にオフセットされているのが分かります。本国では当時のインディーカーは左周りのコースに合わせてこの様なセッティングになっていたのです。これもスペアーカーだからでしょう。さすがにスチュアートのボディはオフセットされていません。
写真は、250R、グランドスタンド、最終コーナー辺りから撮ってます。
 
 



 
TOP : A precious VAN poster.
G. Hill's machine had a VAN sticker on it.

Providing materials by Hiroshi Ogura.
 



TOP : Jackie Stewartand his Lola T90 Ford, a memorable winner.
 


TOP : Graham Hill and his Lola T90 Ford of the '66 Indy 500 winner that regretfully retired on the way.
 
 

TOP : The photo on the left shows the situation after
Mr. Ogura's start Picture at the first corner.
The right is the cover of AUTO SPORT magazine featuring NipponIndy.
You can see that you are shooting at the same place.
 
 


(C) Photographs by Hiroshi Ogura.
 

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