Jackie Stewart ------


TOP : Winner "Jackie Stewart"in '66 Fuji Indy 200 Mile Race.
(C) Photograph by Joe Honda.


TOP : Jackie Stewart and winning Mecom"Lola T90 Ford".
(C) Photograph by Joe Honda.


TOP : Jackie Stewart ( Rightside ) and yonng "Chris Amon".
(C) Photograph by Joe Honda.

 上の3枚の写真のうち、最初のものは、当時若干26歳だった“ジャッキー・スチュワート”が日本インディで優勝した時のものである。
それにしても、ジョー氏のカメラアングルはいつ見ても実にアート的だ。下に写し出されているタータンチェックのヘルメットがこの写真の良いポイントになっている。
ところで、優勝したジャッキー・スチュワートは、前年1965年に彗星の如くF1界に現れて、現在BRMチームに所属、66年のモナコ・グランプリでは初優勝を記録している。また、66年のインディ500でも、終盤トップに立ち、優勝目前で惜しくもリタイヤしていることなどからして、将来のもっとも有望なワールド・チャンピオン候補ナンバーワンと言われていた。
ちなみに、3年後の1969年には、マトラMS80フォードを駆って、初のF1ワールド・チャンピオンになったのを皮切りに、1971年、1973年と3度チャンピオンに輝き、当時としては不滅のF1グランプリ通算27勝を達成することになる。

中央の写真は、優勝車“ローラT90フォード”である。エンジンは、フォードV8 4.2リッターである。
インディ500マイルレースの時は、左側オフ・セット仕様であったこのマシンも、富士ではニュートラル仕様(左右サスペンションアーム均等)で臨んだのは、ヨーロッパのレースを知り尽くしたスチュワートならではと思われる。当時は、まだまだ、どちらの方が有利なのか実験段階であったようで、その後のインディでは、次第にニュートラルタイプが主流となっていった事実からして、模索状態だった当時の現状が分かると言うものだ。
そして、今回のマシンで特に注目されるのは、やはりミッションではないだろうか。
インディアナポリス・スピードウェイのように、オーバル・コースであれば、2速ロー・トップだけで十分であるが、富士のようなヨーロッパ式サーキットではやはり4〜5速ミッションは必要不可欠だ。予選でエンジンを壊したジム・クラークのロータス38フォードなどは、ZF製5速ミッションを特別に富士用にセッティングしてきた事からもその重要性がわかるだろう。ただ、レース途中トップに立ったもリタイヤしてしまったグラハム・ヒルのローラは、左側オフ・セット+2速ミッションでスチュワートに劣らぬスピードを見せていたことからして、富士スピードウェイにおける多段ミッション+ニュートラルサスペンション有利説は必ずしも正しい理論として結論付けることは出来ずに終わったと言っていいだろう。
果たしてどちらの方が有利だったのだろうか・・・。

 一番下の写真は、当時、若きホープとして期待された“クリス・エモン(左側)”とスチュワートだ。
クリス・エモンは、ブルース・マクラーレンと同じニュージーランド出身ということで、ブルース・マクラーレンのチームで1966年からF1、およびグループ7(CAN-AM)などのレースに出場していた。特に、この66年に開催された“ル・マン24時間レース”では、ブルース・マクラーレンと組んでフォードGTMKII で出場、見事優勝していることからも、彼の才能を垣間見る事が出来るのではないかと思う。
意外なことに、エモンはこの日本インディがインディカーの初体験であった。慣れない2速ミッション付き“ボデルステット・フォード”で良く健闘していたが、他車のスピンに巻き込まれてリタイヤを喫する。エモンは、このレース以降、インディカーレースにはどうも馴染めないようで、ほとんどインディカーレースには出場していない。
ジョー氏は、若きエモンとスチュワートを初めて見た時から将来の何かを感じたという。ただ、エモンは67年に憧れのフェラーリのエース・ドライバーとなるものの遂に念願のF1優勝は叶えられずに終わってしまったのに対して、スチュワートのF1グランプリ27勝の活躍とを比べてしまうと実に寂しい気がしてしまうのは私だけだろうか。

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(C) Photographs by Joe Honda.