7.1968年日本Can-Am 

 この年,3回目のレース観戦です。当時人気急上昇のCam-Amレースに参戦しているトップドライバー/マシンが日本でレースをするということですからこれは行くしかありません。
はっきりとは覚えていませんが,この時は御殿場からではなく駿河小山からの臨時バスで行ったと思います。ワークスマクラーレンの他,シャパラル,フェラーリといったトップチームがやってくるということでした。
しかしながら,最終戦のラスベガスでジム・ホールのシャパラルとモチェンバッハが大事故を起こし、ジム・ホールは足を骨折してしまい来日できなくなりました。ワークスマクラーレンやクリス・エイモンのフェラーリもやってきませんでした。
それでも,マクラーレンに次ぐ早さのマーク・ドナヒューやダン・ガーニーとともにフォードエンジンのトップチームであるキャロル・シェルビーのチームからピーター・レブソンが参戦しました。それ以外にも,アル・アンサーやジョー・ボニエ,チャック・パーソンズ,サム・ポージー,ジョージ・フォルマー等々Can-Amシリーズの中堅どころがそろいました。
迎え撃つ日本勢は5台のトヨタ7や長谷見昌弘,酒井正の滝ローラが参戦しました。トヨタではいつもの自工系ドライバー4名に加え,自販チームから昇格したばかりの川合稔が参戦しました。変わりどころとしてはメキシコの英雄であるペドロ・ロドリゲスがマシンは持たず日本にやって来て、安田銀治が所有するローラT160に搭乗しました。アメリカのトップレースとしては1966年にUSACマシンがやってきましたが、これは興行的要素が強くテレビで観戦しましたが退屈なレースでした。

 この日本Can-Amは参加ドライバー/チームの真剣さが伝わってくるものでした。レース当日の朝のウオーミングアップ(キャリブレーションテストといったかもしれません)中に高橋国光が安田銀治に代わってローラT70をドライブするというアナウンスがあり、観客席から歓声が上った事を覚えています。
サポーティングイベントのストックカーレースの後,ローリングスタートでレースは開始しました。私は左回りコースのストレート後半でレースを見ましたがそのスピードはこれまでのレースとは比較にならないくらい速いものでした。特にマーク・ドナヒューとピーター・レブソンのスピードは圧倒的に速く他車をどんどん引き離して行きました。
日本勢の滝ローラやトヨタ7は本場のマシンには全く太刀打ちできず少々がっかりしましたが、その中でも急遽参戦した高橋国光が最後尾から追い上げて、日本勢としての意地を見せました。しかし、残念ながら高橋はまもなくリタイアとなってしまいました。
レースは後半,マーク・ドナヒューがリタイアし、勝ち星に恵まれなかったフォードエンジンを駆ったピーター・レブソンが優勝しました。また、日本勢では、トヨタ7の福沢幸雄が4位に入賞しました。ダークグリーンのボディに真っ赤なヘルメットがとても印象的でした。
 


TOP : #6 Mark Donohue's SUNOCO Special ( McLaren M6B Chev) and #52 Winner Peter Revson and his McLaren M6B Ford.
(C) Photographs by Hiromitsu Iwata.

 主宰者 : 日本CAN-AM・・・・。
 当時を小中学生で過ごした私や同年輩のモータースポーツファンの方々にとっては、この1968〜69年は、本当に素晴らしい2年間だったのではないでしょうか。
日本CAN-AMは、競馬で言えば有馬記念とでも言ったら良いのでしょうか、とにかく、その年の最後を飾る特別のイベントであったと思います。
 日本グランプリと人気と言う点から比べると、少々ランクは下になるのかもしれませんが、本場のビッグマシンたちの速さは特別でありました。日本グランプリで活躍した、あのローラT70MKIIIやトヨタ7が、本場のCAN-AMマクラーレンやローラにあれほどスピード差をつけられてしまうのかと、当時は本当にガッカリしたものでした。
しかし、翌年の第2回日本CAN-AMでは、再びワークスマクラーレンは来なかったものの、5リッタートヨタ7がオートコーストTi22を破り、雪辱してくれることになるのですが、私はどうしても残念だと思うことがあるのです。岩田氏がおっしゃっていたように、チャパラル(AUTO SPORT志向が強いのでどうしてもそう言ってしまいます・・・)が来なかったことと、ジョー・シファート(カーグラフィック派だと、ジョセフ・シェフェールと言うのでしょうか・・・)が917PAで日本グランプリのリベンジをしてくれなかったことが、今だに心に引っ掛かっているのです。
 まあ、38年も前のことですから、いまさらどうしようもない事なのですが・・・(笑)。

 それにしても岩田氏の写真は、とてもアングルが良いですね!マシンのカッコイイところをちゃんと写しています。私は特にローラT70MKIIIのアングルが大好きです!
 


TOP : Japanese challengers in '68 Japan CanAm.
3000cc engine's '68 type Toyota-7 of #32 driven by S.Fukuzawa  and #34 drivin by S.Hosoya.
#27 Taki-Racing Team's Lola T70MKIII., driven by M.Hasemi.
(C) Photographs by Hiromitsu Iwata.

 駆け足で1968年の日本モータースポーツ界の大きなイベントを岩田氏と共に回想してきました。
そして、貴重な数々の写真も紹介して頂き、感謝感激でありました。この場を借りまして、岩田氏にお礼を申し上げたいと思います。
さらに、次回は、1969年版を紹介して頂けるとのことでした。今から本当に楽しみであります。
皆さんご期待ください!!
 


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(C) Photographs, textreport by Hiromitsu Iwata.