TOP : Hiroshi Fushida in '73 Fuji GC.
(C) Photograph by Joe Honda.
The 40years Anniversary
The Motor Sport Life 
of
Hiroshi Fushida 

PART 1 

"American Dream" 
'70 F-A Continental Champion Ship 

 
 勢いに乗る寛は、次のラグナセカでも5位に入る健闘を見せる。
ここは、CAN-AMシリーズでもおなじみの1周3.047Kmのショートコース。下りながらヘアピンを回る“コークスクリュウ”はあまりにも有名だ。
寛は、初めてまともに予選を走ることが出来、9番目のタイム1'05"80をマークする。ポールポジションを取ったのは、ジョン・キャノンのブランニューマクラーレンM10Bが出した 1'03"19だ。寛とは、約3秒の差があることになる。
ちなみに、同年CAN-AM第9戦ラグナセカにおけるCAN-AMカーでのポールタイムはというと、ワークス・マクラーレンM8DのD.フルムとP.ゲシンが同タイムで出した1'00"6である。F-Aで出した寛のタイムをCAN-AMの予選タイムに組み込んでみると、32台中15位のタイムに相当する計算になる。当時のF-Aマシンも5リッターながら、そこそこの性能を出していたと考えていいだろう。そして、このCAN-AMモントレーグランプリ(ラグナセカ)には、なんと寛自身が革命的マシンと言われた“MAC'S IT SPECIAL”で参加したが、2サイクル4WDという奇抜なアイデアのマシンゆえのトラブルで、残念ながら本戦進出はならなかった。
 さて、F-Aコンチネンタル第4戦ラグナセカの決勝は1970年6月14日に行なわれた。しかし、またしても雨模様だ。寛は、ここでギャンブルに出る。雨が止むことに賭けてドライタイヤのまま決勝に臨む。キャノンはオールウェザーに履き替えたようだ。
午後1時30分、ローリングが開始された。2周後グリーンフラック!
寛は第2コーナーで早くも1台を抜いて6位。「こいつは快調だ!」と寛。
しかし、10周もたたないうちにまたもブレーキが・・・。ソローリソローリと慎重に周回を重ねる寛。6〜7位あたりを行ったり来たりしているうちに、ジョン・ガンのサーティーズTS8を30周目にパス!そして、33周目にハッチンソンのブラバムがエンジントラブルでピットインの間に5位に上る。
そして、その後は変化なく2戦連続の入賞。前戦のシアトルで賞金2000ドル、そして、今回のラグナセカでの1500ドルを合わせて3500ドル(1ドル360円の時代だから126万円)を稼いだ事にある。

TOP : Eagle MK5/Plymouth at Laguna Seca in 1970.
Special thanks Hiroshi Fushida.

TOP : Hiroshi gots a 5th place in '70 LAGUNA SECA.


TOP : Hiroshi Fushida's EAGLE PLYMOUTH F-A in '70 SCCA F-A Continental.
メカニックと一緒に働く寛。どことなく楽しそうである。
Special thanks Saneishobou AUTO SPORT
and Hiroshi Fushida.

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Special thanks Saneishobou AUTO SPORT
and Hiroshi Fushida.

(C) Photograph by Joe Honda.