The Ford GT40 in Japan '70 All Japan Suzuka 300Kms Race. フォードGT40が鈴鹿を走った日!! ![]() TOP : The Kojima Racing's GT40 at Suzuka CK in 1970. (C) Photograph by Naofumi Ibuki. ![]() ![]() TOP : Official Program Book for '70 All Japan Suzuka 300Kms Race. Special thanks Naofumi Ibuki. *JWエンジニアリングの元を離れて2年。そのマニファクチャラーズチャンピオンマシンの走りをリアルタイムでご覧になり撮影された貴重な写真をN.I氏のご協力を得、ここに公開させて頂く事が出来ました。
今から33年前の1970年に日本で初めてフォードGT40が鈴鹿を走ったことを皆さんご存知だったでしょうか?私は丁度中学3年生の3学期で高校進学直前という事もあり、多分勉強なんぞしていた時期だったと記憶しています。
上のコメントは、オートスポーツ誌1969年10月号「日本グランプリ確定エントリーリスト」より引用活用させて頂きました。 しかし、本戦の10月10日にフォードGT40の勇士を見ることは遂にありませんでした。
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幻となった69年日本グランプリ出場
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上のコメントは2003年春にフジミ模型より発売された1/24スケールプラモデル「フォードGT40 コジマ・レーシング」に記載されているものであります。フジミ模型とは同じく2003年1月に発売された1/24スケールプラモデル「ホンダS800 TETSU
IKUZAWA ニュルブルクリンク500Km」以来のお付き合いであり、このフォードGT40 コジマ・レーシングのコメントも僭越ながら主宰者であります私が書かせて頂いたという訳です。
フォードGT40というとやはり60年代のル・マンでの活躍が中心となるわけでありますが、どういうわけか日本においてはプロトタイプカーおよびレーシング・スポーツカーというとローラT70、ローラT70MKIIIやポルシェカレラ6−10、908、917などが中心となってしまいフォードGTやフェラーリの名前は見ることが出来ません。当時のプライベーターたちが当時の日本グランプリ規定がグループ7カーが中心となっていたためか、選ぶマシンがローラやマクラーレンに絞られてしまうというのはごく自然な成り行きだったのでなかったかと想像されます。 そのフォードGT40が日本の公式レースに初めて登場したのは、1970年1月18日「全日本鈴鹿300Kmレース」でありました。そして、その前日雪の降る最悪のコンディションの中注目の予選が開始されたのです。 |
![]() タキ・レーシングチームというとやはり日本グランプリでニッサン、トヨタと壮絶なトップ争いをしていた強力なプライベートチームという印象が今でも私は強く残っています。メーカーのバックアップなしで(ブリヂストンタイヤの協力はあったものの・・・)対等、時によってはそれ以上の当時最強マシンを自己資金で購入して対抗したその心意気に当時中学生だった私はとても感動したものでした。 前年の1969年の日本グランプリに当時最強のスポーツカードライバーと言われた“ジョー・シファート”とポルシェワークスをパックで呼んでニッサン、トヨタに対抗した余勢を駆ってポルシェ908スパイダーで出場したこの鈴鹿300Kmレースはまさにタキ・レーシングのためのレースと言っても過言ではありませんでした。やや活動を縮小したタキ・レーシングは前年同チームで活躍していた長谷見昌弘や田中健二郎がチームを離れ、新たに永松邦臣がエースとなり'69日本グランプリを走ったポルシェ908スパイダーを駆り予想通り予選をトップで通過したことは当然の結果と言えるでしょう。(右の写真は、スタート前の永松邦臣とポルシェ908スパイダー) では、その予選の模様をダイジェストのお伝えしようと思います。 レースは、エンジン排気量別に2つのレースで行われました。(1300cc以下のクラス第1レースと1300cc以上の第2レース) 1300cc以下のレースに出場する主なマシンとドライバーは、本田博俊(現無限)製作の矢吹圭造ドライブの意欲マシン“カムイ・ホンダ”、同じくホンダS800を改造した林みのる(現 童夢代表)製作のマシン“マクランサ”が3台、林将一作製のホンダ1300のエンジンを使った“カーマン・アパッチ”、そしてツーリングカー部門のTMSCのパブリカ(見崎清志、蟹江光正)、カローラ(松本恵二、その他)、スポーツカー部門のホンダS800などが主な出場マシンでありました。(出場台数48台) 1300cc以上の出場マシンは、レーシングカー部門で田中健二郎駆る日本初登場となる注目のフォードGT40と永松邦臣の鈴鹿初登場のポルシェ908スパイダー、そして、ニッサンが持ち込んだSR311の後継となる北野 元の乗るフェアレディZ432がなんといっても最大の注目マシンでした。その他、いすゞから浅岡重輝と米村太刀夫のべレットR6クーペが2台、永松と共にタキ・レーシングからあの風戸 裕は、68年生沢 徹が日本グランプリで2位を得た栄光のポルシェカレラ10で出場。また、ツーリング部門では、ニッサンワークスの高橋国光、都平健二がスカイライン2000GT-Rで、チーム木の実からプレスト・ロータリークーペが2台など注目のマシンたちが続く。 さて、予選はと言うとあいにくの雪。各車セッティングに苦しむ中、第1レースのマシンの中ではなんと本田博俊製作のカムイ・ホンダが2分49秒2でポールポジションを獲得。続いて蟹江光正のパブリカSLが2分53秒2、林将一のカーマン・アパッチが3番手とつづく。 第2レースでは、コースレコード更新(公式記録は1969年の同レースで優勝した鮒子田 寛のトヨタ7が持つ2分16秒7。非公式では68年4月ホンダRA301を駆るジョン・サーティーズが持つ2分11秒台とニッサンR382が1970年2月4−5日にテスト中にマークした2分7秒台、そして、1970年8月、あのターボチャージドトヨタ7が2分4秒台を記録したのが非公式最高タイム。永松自身2年後の1972年4月2日、鈴鹿500Km予選でローラT290三菱R39Bを駆り2分6秒5の公式ニューレコードを樹立する)を狙う永松が雪のため思いのほか攻める事が出来ず2分31秒0でポールを奪取。米村、浅岡のべレットR6クーペがそれに続きました。 注目の田中健二郎のフォードGT40は、北野 元のフェアレディZ432、高橋国光のスカイラインGT-Rに続いて6位でありました。 |
予選結果( Group 1 出走20台)
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![]() ![]() TOP : Taki Racing Team Truck and Shintarou Taki. (C) Photographs by Naofumi Ibuki. 上の写真は、珍しいタキレーシングチームのトラックであります。このトラックにポルシェ908や910を乗せて来ていたんですね!
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![]() TOP : Shintarou Taki ( Left side ) and Kenjirou Tanaka. ![]() TOP : The Ford GT40. Drivin by Kenjirou Tanaka. ![]() ![]() TOP : Taki and Hiroshi Kazato. Hiroshi Kazato and his Porsche 910 at Suzuka 300Kms Race. このレースにおいて風戸は、永松から鈴鹿のドライブテクニックを伝授されています。このことが同年の全日本ドライバーズ選手権獲得に大きく影響を与えたのは間違いないでしょう。 (C) Photographs by Naofumi Ibuki. |
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(C) Photographs by Naofumi Ibuki.