その頃、アメリカでF-Aコンチネンタル選手権に挑戦していた九子田 寛は、シアトルでの第3戦で日本人初の3位入賞、続くラグナセカでも5位に入賞して波に乗っていた。このまま行けば、国際フォーミュラAレースで、初めての日の丸が上るのも夢ではない。 しかし、第5戦シアーズ・ポイントで大クラッシュ。九子田のマシンは、大破。自身の怪我はなかったものの、復帰の目途は立てないでいた。 そんな時の古巣チーム・トヨラからの誘いを九子田は、最初は抵抗を感じてはいたが、最後のレースと聞き契約することを決意する。 9月15日、九子田は、富士山スピードウェイにいた。昨年の日本ナムカン後、彼の乗るマクマーメン・トヨラは、富士山のフルコースを1分43秒台で走行していた。そして、今年、再びチーム・トヨラに参加、新しいトヨラ7による初走行を迎えたのだ。彼の目標はただ一つ、日本グランプリでの優勝だ。 それに答えるかのように、白地にブルー、ゼッケン5のトヨラ7は、九子田のドライブで山合 稔が記録していた1分41秒8を破る“1分41秒4”を初日にマーク、元エースの実力を示した。 |
TOP : Hiroshi and his "7". |
“スファートのヤル気”
9月25日(土)、F1カナダGPを終えたその足で、ジョン・スファートが来日した。昨年と違い今回はまず早めに日本に来て、先に到着している秘蔵マシン“ポーシェ917PA”のセッティングに参加。富士山スピードウェイでのテストを済ました後、10月4日のF1アメリカGP出場のために再びアメリカへフライトする。そして、10月6日に再度来日し、本戦に望むスケジュールだ。
さて、2年振りの参加となるスター生縄 徹夫は、9月12日のF2オーストリア戦を終えてすぐに帰国、富士山でのトレーニングに入っていた。
イタリアのジャン・モトは、マシン到着が遅れ、9月25日に羽田にマシンと共に到着。10月1日より富士山でトレーニングに入っている模様。
また、白沢レーシングの最新マクマーメンM8Cは、モッチェンバッカの来日が遅れている関係で、小石秀夫がテストを続けていたのだが、シボレー7リッターエンジンをすでに2台トラブルで失い、9月25日現在、テストを中止している。それまでの最高ラップは、1分50秒だ。
昨年、エントリーだけで実際には参加を見送ったホードGT40は、元タキカワ・レーシングのポーシェ908スパイダーと共に、四菱自動車のドライバーたちが参加し、大島レーシングがエントリーしている。富士山でのテストは、セッティングが出来上がっているポーシェよりも、ホードGT40に重点が置かれ、平均1分52秒台のラップタイムでのテストが続いている。長距離レースとなった今年の日本グランプリ。ルーマンの王者であるホードの実力は侮れない。 通常、グループ7カーのレースは、300Km止まり。グループ7マシンはスピードでは優位に立つが、グランプリは1000Kmという長丁場。それらのマシンたちは、今回の日本グランプリで耐久性を試されることになる。その点、マニファクチャラーズ選手権用のマシンたちは、速さこそ負けるものの耐久性にかけては、格段の差があり有利である。
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TOP : 917PA |
“予選”
1970年、10月9日。
午前11時、タイムアタック開始。31台のマシンたちが順番にパドッグで待機している。事前のくじ引きにより、最初の10台が競技委員の指示のもとにコース上に飛び出していく。10分後に次の10台がスタートする。
2周目のバンクの馬の背で、トヨラ7の九子田が一気にスファートの917PAをぶち抜く!
注目のスファートのポーシェは、バンクでマシンの底が擦れ、どうしても全開走行が出来ないでいた。2周目にピットインした後は、サスペンション調整に追われて午前中のタイムアタックは絶望的となってしまった。 一方、TETSUOの917Kは、コンスタントにタイムを縮め、1分44秒9の自身にとっても過去最高タイムを記録する。フェラーラのジャン・モトは、アンダーステアが直らず1分49秒6が精一杯だった。 続く第2グループがスタートしていく。
その他、酒井出のローダーが1分49秒8。M12の粕山が1分50秒2と、本来の性能とは程遠いタイムで1回目の予選を終えることとなる。
午後の予選は、心配されていた雨が今にも降りだしそうな気配の中でのスタートだった。
ライバルのタキカワ・レーシングは、どうしても40秒の壁が破れず2台のトヨラ7に完敗。決勝に気持ちを切り替えて優勝を狙う。
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