The Special Report of Model Speed Life.
Who's the American Hero ? This is DAN GURNEY !!
アメリカン・ヒーロー“ダン・ガーニー”
 1963〜66年 NASCAR シリーズの「リバーサイド500マイルレース」で4年連続優勝したダン・ガーニーは、真のアメリカン・ヒーローだった!!
Wouldn't it be simpler to rename it "The Dan Gurney 500 ?" 
 
TOP: Dan and Jerry Grant(Left side). 
    

 アメリカのレーシング・ヒーロー伝説において、ダン・ガーニーは、特別な存在でありました。あえて日本の野球に例えるのであれば、「記録の王」が“AJ.フォイト”であり、「記憶の長島」に該当するのがおそらく“ダン・ガーニー”ということになるではないでしょうか。それほど彼の人気は当時熱狂的でありました。まさに、長島状態だったと言えます。
 そんなダン・ガーニーのことをアメリカのレーシング・ファンたちは、伝統的なアメリカ開拓魂の象徴的スターだと思っていたかも知れません。なぜならば、彼は、60年代たえず世界に目を向け挑戦し続けていました。そのファイト溢れる行動力がファンを魅了したのではないかと想像出来ます。
 60年代初頭から、ダン・ガーニーは、フォーミュラ1の世界に魅了され、世界を股にかけて活躍していたことは有名な話しです。さらに、アメリカ国内においても、ストックカー・レース、インディカー・レース、そして、CAN-AMシリーズなどを含むスポーツカー・レースにも積極的に参加するオール・ラウンド・ドライバーであり、そのどのカテゴリーにおいても彼は、常にトップ・ドライバーとして活躍し続けていたのでした。そして、あのジム・クラークをして言わしめた「一番怖いのは、ダンだ!」の言葉はお世辞抜きで真実だったに違いありません。
しかし、そんなダン・ガーニーのレース戦績の記録面においては、唯一の例外を除いて目立ったメジャー・レース優勝がないのは不思議なことでありました。インディ500での優勝もなく、ストックカーのインディ500とでも言うのでしょうか、「デイトナ500マイルレース」での優勝もありません。AJ.フォイト、マリオ・アンドレッティ、そしてパーネリ―・ジョーンズらのスーパー・スターはいずれもインディ500、さらにデイトナ500(パーネリ―はないと思われますが・・・)を1度は勝っており(AJは、インディ500で、実に4回も勝っている!)まさに、王貞治状態でありました。
そんなダン・ガーニーがF1グランプリでの4度の優勝以外で優勝した超メジャーなレースが1つあります。それは、1967年に行なわれた「栄光のル・マン」でのフォードMKIVを駆っての優勝であります。それも“O.N”いや、失礼!AJ.フォイトとのコンビで勝ち取ったまさに“オール・アメリカン”の優勝でありました(上の画像)。
 ダン・ガーニーのストックカー・レースでの活躍は、一部のファンを除いて日本においては、あまり知られていないのではないでしょうか。ケン・マイルズやボブ・ボンデュラントと共に、コブラ使いとして名を欲しいままにした“シェルビー・コブラ”での活躍や、“ロータス19・フォード”を駆り、ワークス・フェラーリに立ちふさがったり、“フォードGT40”シリーズでの活躍、そして、CAN-AMシリーズにおける自らのマシン“マクリーグル(マクラーレンM6Bを改造し、フォード・エンジンを搭載していた)”や“ローラT70・フォード(ローグルとでも言うのでしょうか!?)”などでの活躍は、チャパラルと共に、アメリカのレース・シーンにおいて、不滅の輝き(記憶)をはなっていました。
                        
                                        TOP : Lotus 19 and Dan Gurney
                                       (C) 1/43 scale model built by Sebring

   
                TOP : Gurney and his Shelby Cobra 289 in FIA Sebring 1964.
                    1/24 scale vintage AMT body. Built by My friend.

                 
                             TOP: 1/24scale vintage Monogram slotcar "Gurney McLaren M1A"
                                       Built by my friend.


   
                                (C) 1/43scale model built by Sebring
                
                         TOP : This is world famous "AAR MCLEAGLE"
                              (C) 1/43scale model built by Sebring

 そんなダン・ガーニーにも、不滅の記録が残っています。それが、今回御紹介する「リバーサイド500マイル・レース」での4連勝であります。
1963年に、フォード・ギャラクシーで優勝したのをかわきりに、1966年まで全てダン・ガーニーは、フォードで勝ち続けたのでした。この記録は、今だに破られていないと思います。
 上の画像は、1965年の「リバーサイド500」で3年連続の優勝を成し遂げたことをキャッチ・フレーズにした“GOOD&YEAR”の広告であります。
「DAN GURNEY WINS HISTORY-MAKING RIVERSIDE TITLE ON GOODYEAR TIRES !!(ダン・ガーニーは、グッドイヤー・タイヤで、リバーサイドでの歴史的勝利を刻む)」
のキャッチ・フレーズでも分かる通り、ダン・ガーニーの活躍は、それ自体で宣伝効果満点と言うことだったのではないでしょうか。
さらに、「ダン・ガーニーは、3年連続リバーサイド500マイル・レースを制覇する偉業を成し遂げた最初のドライバーとなった」と記述されています。

   

TOP: Dan Gurney and his '65 Ford Galaxie( 1/25scale AMT's model) by Dr.K.
 
 ダン・ガーニーの‘65 フォード・ギャラクシーを忠実に再現した1/25スケールのモデルカーであります。

ボディは、正確に再現されていると評判だったAMT製。また、シャーシーは、コックスの16−Dパイプ・フレームが使用されており、ホイルは、ウールリッチのダイキャスト、タイヤはレベルというスペシャルモデルであります。

 
 TOP: It's most beautiful  '65 Ford Galaxie !!
 1966年、ダン・ガーニーは、やはり“フォード・ギャラクシー”を駆り、このリバーサイドに帰ってきました。
その時のレース記事を載せていた「ROAD & TRACK」誌は次ぎのように記述しています。
「・・・思い出して欲しい。その最初が1963年の“MOTOR TREND 500(リバーサイド500)”でダン・ガーニーは、フォードによって勝利した。そしてニつ目は、1964年、そして、三度1965年、いずれもダン・ガーニーが優勝している。
さて、今年はどうだろうか・・・。私たちは、こう言おう、フォードによるダン・ガーニーの勝利だと・・・。
今年は、予選においてダン・ガーニーは、ポール・ポジションは惜しくもとることは出来なかった。
・・・しかし、サーキットを知りすぎているダン・ガーニーは、今年も勝ってしまった!!」
 Wouldn't it be simpler to rename it "The Dan Gurney 500 ?" 
  
 
 TOP: Dead-heat between '66 Ford(#41 Curtis Turner) and the winning '66 Ford(#121 Dan Gurney) at Riverside in 1966(Left side).
 
 上の画像は、1966年発行の"SPORTS CAR GRAPHIC"誌に掲載されていた「MOTOR TREND(RIVERSIDE)500」レース模様です。ダン・ガーニーは、ポールポジションを取った“David Pearson”を逆転で破り驚異の4年連続優勝を飾りました。
 
   
 
 TOP: The Wood Brothers pit crew were able to get Gurney in and out of the pits in an average of 20 seconds, while the best the other teams could do was ten to twenty seconds slower than that(Left side).
 This is a special 1/25 slot car " Gurney Ford"kit of COX in 1966(Right side). 
 
 有名な、“ウッド・ブラザース”の華麗なピット・ワークにより、ダン・ガーニーは、レースを優位に進めることが出来たのでした(左画像)。
 右の画像は、当時は、まったく知り得なかったCOX製1/25スケール「ガーニー・フォード」であります。
 
      
                      TOP: 1/25AMT's bodys with Cox chassis by Dr.K.
 
このモデルは、1966年のリバーサイド500マイルレースで優勝したダン・ガーニーの#121 ’66 フォード・ギャラクシーであります。白地にメタリック・レッドのルーフカラーがとてもすばらしいコントラストを打ち出しています。
 
      
 
 
 翌1967年、ダン・ガーニーは、5連勝を狙って、ここリバーサイドに帰ってきました。
今度のマシンは、フォード系ブランドの“マーキュリー”に乗り換えての出場でした。
しかし、5連勝の夢は遂に果たせず敗退。優勝は、同じアメリカの英雄でありました“パーネリ―・ジョーンズ”の乗るフォードが獲得しました(右画像)。
しかし、ダン・ガーニーは、レース敗退と引き換えに、それ以上に大きな物だと言える「栄光のル・マン」という栄誉ある優勝を手にするのです。さらに、ダン・ガーニーは、同年F−1グランプリにおいても超高速サーキットである“スパ・フランコルシャン・サーキット”で開かれた「ベルギー・グランプリ」で自らのマシン“イーグル・ウエスレークV12”を駆って独走優勝するという偉業も成し遂げたのでした(翌68年、ダン・ガーニーは、再びリバーサイド500で勝利を飾り、通算5勝をマークする)。
 そんなダン・ガーニーにも、チャンピオンという勲章を取るチャンスが1回ありました。それは、1970年のCAN-AMシリーズにおいて、同年テスト中に亡くなった「ブルース・マクラーレン」のピンチ・ヒッターとしてオレンジ色の#48ワークス・マクラーレンで出場した時でありました。彼は、故ブルースの意志を継いでなんと開幕2連勝!!観客は、そんなダン・ガーニーに熱烈な声援を送っていたのは言うまでもありません。しかし、不運にもスポンサー関係等の問題で、3戦を終わったところで途中交代という最悪の事態となってしまったのでした。そして、ダン・ガーニーの夢はついえてしまいました。その後ダン・ガーニーは、その年の10月で事実上の引退を宣言し、レース界から消えて行くのでありました。

  
                        TOP : 1970 #48 McLaren M8D and 1969 #1 McLaren M8B.
                           He was supposed to be a champion at this M8D, but ...

                                  (C) M8D built by Sebring.
                                   Special thanks : Mr.Y

 後年のダン・ガーニーは、そのワールド・ワイドな友好関係やビジネスマンとしてもトップ・クラスだった才能を多いに生かして、自らのチーム「AAR(オール・アメリカン・レーサーズ)」の監督として、インディやスポーツカー・レースで活躍するのでありました。また、ビジネス・マンとしてのダン・ガーニーの成果として忘れられないのが、日本のトヨタと手を組み、トヨタ・エンジン搭載の“イーグル・トヨタ”を開発し、1980年代のIMSAシリーズなどで数々の優勝を飾ったのは記憶に新しいところです。
もし、彼が“クリント・イーストウッド”のような政治家への道を選んだならば、間違いなく(私の中ではですが・・・)アメリカ大統領候補となっていたのではないでしょうか。それだけ、当時のアメリカにおいての彼の人気は絶大なものだったのです。

 
WHO'S THE AMERICAN HERO !? THIS IS DAN GURNEY !!
 
  We pray for Mr. Dan Gurney's soul
  JANUARY 14 in 2018

我々の永遠のヒーロー“ダン・ガーニー”に合掌
 

END



 
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(C) 8/JAN/2001 Text rports by Hirofumi Makino.
(C) 8/JAN/2001 A lot of Photogrphies by Dr.K.