1967年シーズンを最高の形で終わらせる事が出来たTETSUは、新たなチャレンジとして3つの目標を掲げて68年シーズンに臨んだ。
その目標とは、「イギリスF-3のシリーズチャンピオンを取る」、「日本グランプリで再び優勝する」、そして、「ワークスポルシェの一員となる」ことだった。この3つの目標は、それぞれ別のように思えるのだが、実は全て関係している事なのだ。
ワークスポルシェの一員となるには、海外での実績が必要だ。そのためにもイギリスF-3レースの成績はきわめて重要。1967年のシルバーストーンのF-3レースにおいて、ポルシェ博士がTETSUのスピンを見て、最終戦のブランズハッチでのレース(マニファクチャラーズ戦)におけるドライバーとしての参加を疑問視したことでもわかる。また、TETSUのイギリスにおけるレース活動を続けるために、どうしても日本グランプリで優勝し、日本企業のスポンサーを獲得しなければならないお家事情もあった。
 上下の写真は、タキ・レーシングチームの一員として日本に帰ってきたTETSUの勇姿である。ヘルメット、グローブ、ゴーグル、レーシングスーツ、そして、レーシングジャケットなど全てが、彼のスポンサーである「レーシングメイト」、「VAN」のオリジナル商品だ。それらを身に付けて走るTETSUは、まさにレーサー兼ビジネスマン兼モデルであった。
 


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