From '60s Model Speed Life.
元祖 モデル・スピードライフに見る 
全輪サスペンション付きホンダF-1製作記事とは!?

TOP : The Original All-Sus Flame by Hiroshi Tadokoro.
(C)Photograph by Hirofumi Makino.
 数あるクライマックス製クリヤーボディの中で、フォーミュラカーをモデルにしたボディの割合は意外と少ない。
その中でもロータス・タービン(56)やブラバム・フォードと共にお気に入りだったのが“ホンダF-1( RA-273)であった。
では、なぜ私がクライマックス製ホンダF-1が好きだったかというと、それには1つの訳があったのだ。それは遂に完成出来なかった“あの製作記事”が深く関係している。
あの製作記事とは、1967年発行「モデル・スピードライフ」誌6月号No.20に掲載されていた「新しいアイデアによる・・・新しいシャーシー オール自製による・・・全輪サスペンションF1用シャーシー 田所博史」である。
当時中学1年生であった私は、この記事を見た瞬間すぐさま魅了されてしまった。「私も作りたい!!」。そんな思いで、その日の内に手持ちのクライマックス製クリヤーボディ1/24スケールの「マトラF-1」と「ロータス49B」を使い無謀にも(!?)田所氏の製作記を教科書として全輪サスペンションシャーシー製作に挑戦することを決心するのであった。
しかし、以前にも書かせていただいたと思うのだが、精度を要求するリヤサスペンションを作ることが出来ず途中で挫折してしまう。それからというものホンダF-1と聞いただけで田所氏の全輪サスペンションをつい思い出してしまうほど強烈な印象を与えてくれた製作記事であった。
 今回、なんとその全輪サスペンションの製作者であった田所氏と偶然にも巡り会うことが出来たのは、“あのホンダF-1”を35年間思い続けていたからかもしれない。まさに、思い続けていればなんとかであるとはこのことを言うのではないだろうか。では、初恋の相手にも似た感情を植え付けてくれた「自作全輪サスペンション・シャーシー」の原点をもう1度振り返って見たいと思う。
 現在レーシングカーの水準もかなり高くなり、いままでのようなオーソドックスな機構ではものたりなくなった方の為に、私の作ったシャーシーをご紹介しましょう。
 この車の特徴は、フロントとリヤのサスペンション機構にあります。フロントサスペンションはロータス方式の機構ですので、実車においても証明されているように、モデルカーに採用してもすばらしく、コーナーでの遠心力を十分に吸収してくれます。
 リヤサスペンションは、ジョイントを必要とする為工作がいくぶんむずかしいところがありますが、やはり走行性はすばらしいものがあります。
 ただジョイントの製作を確実に行なわない場合、パワーロスが生じます。製作が困難になる反面、完成した時の喜びはそれに比例してますのですから、ひとつ勇気を出して作ってください。
 レーシングカーを速く走らせるだけに飽きた方、そして今から始める方、すべての方もこのシャーシーを作り上げることにより、多くのことを学ぶことが出来るでしょう。
<ボディ> クライマックス製のホンダ3リッターF1ボディを使用します。
とても良いスタイルですが、幾分手を加えることにより、クリヤーボディにないものが表現できます。
 まずエアインテークをハトメを利用して作ります。ボディとの接着は、エポキシ系の接着剤で行なうと良いでしょう。さらにエアダクト、オイルクーラー、オイルタンク、ミッションケースなどを、バルサ材を使って作ります。
<シャーシー> ピアノ線とパイプ、そして1mm厚の真鍮板を使用した、スペースタイプのシャーシーです。それぞれ入り組んでいて、ハンダづけが多いため、ハンダづけをきれいに行なわないと、仕上がりがきたなくなり、また強度的にも劣りますので、十分注意して行ってください。
 ペーストでも塩化亜塩でも良いですが、ハンダごてやハンダづけ部分は、良くヤスリやサンドペーパーで磨いておいて、素早く仕上げるのがコツです。何度もやり直した場合、ハンダが他の部分に溶けていってしまうので、注意して行なってください。
<モーター> 作例ではFT-16を使用しましたが、FT-16Dでも良いです。シャーシーの仕上がり具合により、軽く仕上がった場合は回転数を、重く仕上がった場合はトルクをというように、モーターの特性を変えると良いでしょう。
<最後に> 非常に難しいシャーシーですが、前部サスペンションは、私が自信を持っているものです。他のシャーシーにも流用してください。

 上のコメントは、当時の田所氏がモデル・スピードライフ誌誌面上に書かれたものである。さらに、同製作記の中には精密なシャーシー設計図(下記画像参照)も書かれており、現在、田所氏は一級建築士事務所を経営されている。これは想像だが、氏自身にとってもこの「ホンダF-1」製作が全ての原点だったのではないかとつい思ってしまう。
 

 ところで、製作者である田所氏は、当時どのようなきっかけでこの全輪サスペンション・シャーシ―を作られたのか、また、今では伝説となってしまった「モデル・スピードライフ」掲載記事の裏話なども実際にお聞きしているので紹介したいと思う。
 
 今明かされる製作秘話 

 1967年3月に原型となる1号車を制作しました。
というのは2月にイブモンタン主演の映画「グランプリ(右画像)」を見に行って初めてF1レースというものを知ったわけです。
確か映画の中でレース中に4輪サスペンションが動く様子が映し出されていたように記憶していますが、それがきっかけで、実車に近いシャシーが作りたくなってHondaF1を作ることにしたみたいですね、なんせ古いことなのでよく覚えていませんが。制作日数は18日くらい掛かったと思います。
今では当時の記録が日記しかなく、参考にした雑誌(確かオートスポーツか)とか、制作に使用した設計図などが全く残っていないので、どのように作って行ったのか定かではありませんが、試行錯誤を繰り返し全輪サスペンションを完成していったのです。
 3月21日に車が完成し、三軒茶屋サーキットでテストランをしたときに、当時三軒茶屋サーキットの店長をされていた中村さんという方がこりゃ凄いということで、早速科学教材社に連絡を入れたらしく、3月24日にモデルスピードライフ編集長だった内藤さんから雑誌掲載のために会社に来て欲しいと連絡が有りました。
 1号車が出来上がってから3日後にもう雑誌掲載の2号車を作り始めているとは、今では想像も付かないスピードですが、日記にそう記録されているのでそうだったのでしょう(笑)。
当日、神田にある科学教材社を訪ねると古ぼけたビルの2階か3階に内藤さんと他に数名の大人の方々がいてニコニコしながら迎えてくれたのを覚えています。
材料などは事前に揃えてもらい下準備して行ったと思います。
人の見ている前で作るのは恥ずかしい気もしましたが、二度目の制作ですから慣れた物で、制作順に写真を撮影しながら確か一日で全部作ってしましました。
後日写真を見ながら設計図と説明原稿を書いて送ったようです。
原稿料は1ページ1500円×7ページで1万円弱だったと思いますが、当時の小遣いが月1000円か2000円だったので破格の金が手に入ったわけで結構儲かっちゃったなぁ(笑)。

 話は違いますが、編集部に面白い人がいて雑誌の表紙に載せる写真の背景をササーッと絵の具で書いて、プラモの車を適当に配置ししながら撮影をするのを見ましたがさすがプロは仕事が速いと感心したものです。
そして、6月にモデルスピードライフNo.20に掲載された記事を見たときの喜びは今でもはっきり覚えています。
 1967年という年はインデイ500マイルレースにもパーネリジョーンズのガスタービン車という化け物マシンが登場した時期です。
衛星TV中継も行われてなんとコメンテーターが永六輔さんでした(笑)。
生沢徹がポルシェカレラ6で優勝した「日本グランプリ」も生中継で見ました。私のモータースポーツ史にとっても忘れられない年になりました。

田所博史 

TOP : The Plan Of All-Sus by Hiroshi Tadokoro.
 素晴らしい!!やはり当時中学生だった私では当然リヤ・サスペンションを作るのは無理だったのが今さらながらわかる内容だ。しかし、フロント・サスペンションだけは空き缶を利用してなんとか作ることが出来たことだけが今尚自慢であるが・・・。

TOP : How to a All-Sus Flame from Model SpeedLife.
 何たる精密度!!何度見てもこのユニバーサルジョイントには惚れ惚れしてしまう!!
フロント・ホイールに直接穴を開ける為、ややガタが出ると思うのだが、氏のフロント・ホイールはあまりガタが出ない。
やはり精度の問題なのだろうか?!

TOP : The All-Sus Flame Of One's Own Work.
 氏の作られるシャーシー最大の特徴は、車の機能美を最優先として製作されていることではないだろうか。とにかく、実車を思わせるような仕上がりなのだ。しかも、実車同様の機能を再現するわけであるから尚凄い!!常にスケールモデルを意識したもの作り、これが田所流製作術なのだと思う!!
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(C) Text report by Hirofumi Makino.