Driving by L.Bandine at Le mans in 1966.
L.Scarfiotti and his Ferrari 330 P3
1/24 scale "FERRARI 330P-3" 
 “フェラーリ 330P−3”
懐かしのクライマックス製クリヤー・ボディが今蘇る!!
レプリカ・・・だと思われますが、証拠がありません。
しかし、今一目見たとき、私が中学1年の時にこの目で見、この手で触っていた“330P−3”と同じであるという感覚がはっきり蘇ってまいりました。材質こそ“エンビ”、または“ブチレート”系のものとは違い現在のRC用と同じものに変えられてはいるもののどうも金型はクライマックスのもののように見受けられます。
 1967年当時、クライマックス社は、1/32scale「ベンツF−1」をはじめに1/24scaleの「ポルシェ・カレラ6」、「チャパラル2C」などのクリヤー・ボディを発売しておりました。関西の“ライト工業”、関東の“クライマックス”という2大メーカーが当時のモデルカー・レーシング界を二分していたと言っても過言ではないと思います。
 “フェラーリ330P-3”は、そんな中で生まれた傑作だったのではないかと思います。
今回は、1967年版「モデル・スピードライフ」で作例となった“1966年モンツァ1000kmレース”優勝車No.14 ジョン・サーティーズ仕様ではなく、同年の“ル・マン24時間レース”で惜しくもリタイヤしたバンディーニ/ギュイシュ組のNo.21をモデルとして作ってみたいと思います。

 1/24 scale "Ferrari 330P-3"
 This is a reproduction of CLIMAX's clear body !
 当時「モデル・スピードライフ」誌において、クリヤー・ボディはすでにハード・ボディのシェアを上回っていたように私は感じておりました。事実、1965年の同誌創刊号から、レースに勝つために条件として、パイプ・フレームと並んで、クリヤー・ボディは条件の筆頭に掲げられておりました。
クリヤー・ボディの利点として上げられるのは、その軽量さが第1でありました。そして車種の豊富さが、プラボディが金型から作られて約1年間の製作期間を必要とされるのに対し、クリヤー・ボディはわずか数ヶ月で新しい車種を市場に投入できるというメリットが当時大変多くのファンを生む結果となったのではと思われます。
その価格も、250円から400円が基本であり、アメリカからの輸入品もその価格に近いかたちで販売されておりました。タミヤが1966年当時、部品として発売しておりましたプラ・ボディはちなみに200円でありました。
今回ご紹介するクライマックス社レプリカと思われるこの「FERRARI 330P-3」のオリジナル・クリヤー・ボディは、当時300円で発売されておりました。これは、1/24スケール「CHAPARRAL 2C」、「PORSCHE CARRERA 6」に続くものであり、他のメーカーと比べてリアルなことがクライマックス社の特徴でありました。
さて、この懐かしくもあり、また、私がその後クリヤー・ボディを使用するきっかけを作ってくれたこの「FERRARI 330P-3」を早速作ってみましょう。
Top: A wheel arch Cut off in a knife.
 クリヤー・ボディを作る時に最初にする作業があります。それは、ボディのアンダー・ラインおよびホイール・アーチをナイフかハサミで切り離さなければならないことです。これは、現在のメーカー仕上げで全て切り離されて発売されている“RCボディ”と大きく違うところであります。
数ミリ違うだけで全体のバランスが崩れてしまう為に、この作業は大変神経を使います。
私は、当時からナイフは一切使わずにすべて、小さいハサミを使い続けておりましたので、今回もハサミを使い作成してみました。

Top: Ueseing a pair of compasses and HUMBROL enamel colors.
 クリヤー・ボディのゼッケンサークルを作る場合、デカールでは衝突等による衝撃ですぐにはがれてしまう欠点があります。そこで、一緒に裏から塗ってしまおうというのが私のやり方でありました。
 しかし、縁を筆塗りというととても素人では出来ません。そこで考えたのが「カラス口コンパス」で円を描こうということを考えついたのでありました。
 ゼッケンサークルが乾くのに、このエナメル塗料の“ハンブロー(当時は、ハンブロールではなく、単に“ハンブロー”と呼んでいました)”は最低2日間はかかります。  乾いたら、全体をNO.19の赤で塗ります。今さらなんですが、当時は、裏から塗るというのはとても新鮮でありました。まだまだ表から塗ってしまったなどという少年がいたのですから・・・。
 全体を塗り終えたら、カラス口を使って、今度は筋彫り線を入れていきましょう。思いっきりカラス口の先を細く調節して筋彫り線に沿って黒のつや消しで線を書いていきます。  その時のコツは、先の地点を見ながらさっと書いていってしまうことです。間違えたら、すぐにシンナーで消せば良いのですから・・・。
 筋彫り線が書き終わったら、次ぎは同じくつや消し黒を使ってフロント・エアーインテーク、サイドエアーダクト、リヤ・エンドの網部分を塗りつぶします。  リヤ・エンドは、当時の手法でもあったカッターで切り抜き、茶漉し網を張るという手もありましたが、茶漉し網が手元にないため、ツヤ消し黒で塗りつぶす事にしました。
当時の経験からすると、カッターで穴を開けたりすると、レース中のクラッシュなどでいっぺんに割れてしまうという弱点もありましたから・・・。
 ル・マンでの330P-3は、フロント・スポイラーが装備されていましたのでプラバンから切りぬいて、上の写真のように瞬間接着剤で取り付けます。  リヤには、写真のようなスパッツが両サイドに取り付けられていましたので、これもプラバンを利用して切りぬいて接着します。当時のスピード・ライフ誌では、確かボディにカッターで切り込みを入れ、そこにスポイラーを差し込んでいたと記憶していますが、今回はただ接着するだけにしておきました。

What's a photograph of  left side Ferrari ?
Is it a model car !?
 さて、この写真は、昔ながらの方法でドライバ―シートを製作したものです。
台紙には、文房具屋さんで売っている“ラシャ紙”の黒を用意します。そして、当時のクライマックス社製ドライバ―(ただし、フルフェイスのドライバ―しか持っておりませんでした・・・あしからず!)を乗せます。
そのドライバ―シートをセロテープでP3の裏から取り付けます。ちょっとフルフェイス・ヘルメットが違和感・・・(カメさん助けて・・・笑)。
 さらに、ラシャ紙を使ってヘッド・ライト・ベースを作り、そこに1/24スケールのプラモデルから流用したライトを取り付けます。P3は、縦に2個のライトを使いますので、合計4個必要になります。今回は、手持ちのフェラーリ250LMのものを使いました。  リヤ・ブレーキランプも同じく250LMの物を利用し、リヤ・ランプ部に瞬間接着剤で取り付けました。これでやっとリアルな感じが出てきたように思えてきました。
 次ぎに、デカールですが、手持ちのものを利用したのでやや実物のナンバーとは違う字体となってしまいました。
しかし、貼り終えるとやはりリアル感が全然違ってきたように思えます。
また、フロント左・フェンダー上部には、ル・マンにおいてチーム内での識別の為でしょうか、白のラインが2本入っておりましたので、実物通りに付けてみました。ちなみに、NO.20のフェラーリは、ラインが1本です。
 さあ、仕上げに入っていきますが、記念すべき“FERRARI 330P-3”のシャーシとして、思い出の“青柳金属製 R-555 アングル・ワインダー・シャーシ+FT-26D”でいくことにしました。このシャーシは、上の矢印「ココ」の部分でスプリング代わりとなり、シャーシが走行中に上下、左右に移動する機構を持った優れものでありました。
また、本来この時期のクライマックス・クリヤーボディには、FT-36Dを使った初期型 R-555(サイドワインダー式) とダイキャスト製 スピードスポーツ・ホイール(科学教材社製)のコンビで使いたかったのですが、すでに手元になく出来ませんでした。
ところで、上のリヤ・タイヤは、1965年当時からあるアメリカ・ダイナミック社製 ドラック・スター用タイヤでありました。
 シャーシとボディを取り付けた“FERRARI 330P-3”。
当時の13インチぐらいだったと思われるホイールの感じがどうにか出せたと思います。
本来ボディとシャーシの取り付けに際しては、両サイド2本つづの“虫ピン”で取り付けておりましたが、今回は、省略しています。
 サイドから見た“FERRARI 330P-3”。
クリヤー・ボディとしは良く出来ているのではと・・・、自己満足してます(笑)。
 翌年に登場する“P-4”と比べて、“P-3”の特徴は、とてもグラマラスである事ではないでしょうか。
この年、セブリング12時間レースに初登場したスパイダー・ボディもすばらしかったと思いますが、やはり私は、ベルリネッタが好きです。

FANTASTIC !! Ferrari 330P-3!!

END


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(C) 23/OCT/2000 Photographs, textreports, modeling by Hirofumi Makino