1968年日本グランプリで、前年の予選敗退の汚名を晴らせて見せた"DAIHATSU P5"
だったが、ダイハツ・チームとして最後に臨んだ1969年鈴鹿1000Kmレースでは、
再び屈辱に見舞われた。新鋭"HONDA R1300"は、DAIHATSU P5を同じ排気量とは
思えないスピードをもって叩きのめしてみせたのだ。 
最後に臨んだ舞台での惨敗は、夜桜が散るごとく寂しかった。

 
 

 
 
 

 
 
 

 

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