No.33が発売されたのは、5月3日の"68 日本グランプリ"からわずか3か月後の1968年8月であることからいかにクライマックス社がスピーディに最新モデルのクリヤーボディを発売していたかがわかる。
当時、爆発的な人気を誇っていた“日本グランプリ”は、年一回のスペシャルイベントであった。
T.N.T(トヨタ、ニッサン、タキ・レーシング)の対決と言われ、日本スロットカー界も多大な影響を受けていたことは間違いない。この表紙を見ればいかに日本グランプリが注目されていたことが分かる。
 この撮影のコメントは掲載されていないが背景などを制作指揮したのは杉崎氏にまちがいないと思われる。
当時はコピー機も今のようなものはなく、たぶん雑誌等にあるグランドスタンド写真を全紙版に拡大した写真を利用したものではないかと想像する。

 さて、杉崎氏の製作記は下記の「バンダイ製1/20スケール、ランボルギーニ マルツアル」であった。 
1967年ジュネーヴショーで発表されたランボルギーニのショーカーであり、市販目的ではないコンセプトカーの意味合いが深い。 今、モデル・スピードライフ誌を振り返りながら思うのは、模型メーカーがスタティックモデルとして、これらのコンセプトカーを模型化することが多いように感じるのだが、なぜに当時のレーシングカーではなくショーカーだったのか理由を知りたくなってきた。
 

 

 


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