1968年5月号として発売されたNO.30 モデル・スピードライフ。 
この年、富士スピードウェイで開催された「68'日本グランプリ」のメインレースは、それまでのFIAマニファクチャラーズ選手権に沿った規約のプロトタイプレースから、アメリカで大人気となっていた「CAN-AMシリーズ」と同じルールで開催された初めてのレースとなった。 排気量無制限、公道を走るために必要な装備を必要としないまさに走るためだけに出来たレーシング・マシンでのレースとなったのだ。当時それらのFIAカテゴリークラスを“グループ7”と呼んだため、単にそれらのマシンをグループ7と呼んでいた。 ちなみに当時のル・マンなどを走るプロトタイプカーは、グループ6と、年間50台生産義務を持つスポーツカーをグループ4と呼んで区別していた。後にスポーツカーはグループ5(年間25台に変更)となる。

 横道に逸れたが、今回のモデル・スピードライフの表紙を飾っているのが、当時「ロータス・エラン」の後継車として登場した「ロータス・ヨーロッパ」のレーシング・バージョンである「ロータス47GT」である。
この車は、スポーツカークラスの2リッター以下のクラスを狙うマシンとして登場したが、いかんせん市販車スタイルのため、当時のポルシェやディノ、そして、アルファ・ロメオなどの2リッタークラス専用車には太刀打ちすることは出来なかった。
それでも、コーリン・チャプマンは、47のイメージを残しながらもまったくの別物の「ロータス62」を開発し、69年のプロトタイプ2リッター以下クラスに挑戦することとなる。

 アポロ模型。とても懐かしい模型会社である。 今となってもヨーロッパでなく、47GTの1/24プラモデルは、アポロ模型、クラウン模型、そして、日東の3種が有名である。 今回杉崎氏が製作したアポロ模型のディテールは当時としてはとても良く出来たもののように思える。
 さらに、1/24スケールなので、スロットカー仕様にすることがお約束だ。
青柳シャーシ“R-502”(FT-36D用)を使用し改造をして取り付けている。 すでにFT-26Dも流通しているので軽量で高回転高トルクを引き出す26Dも取り付けられるように、マウントを26D用に交換する作業も紹介されている。
 ただ、モデル・スピードライフ製スピードスポーツホイール(元はゴーセン製)を使用しているのだが、実車ホイール径が小さいためややバランス的にタイヤ&ホイールが大きく感じるのがちょっと残念である。
しかし、当時を考えるとこのホイールがベストだったのだと思われる。

 表紙の流し撮り風な撮影も杉崎氏の指導の下に行われた模様だ。撮影の仕方は、たぶんカメラ位置を固定し、バックのグランドスタンド写真を動かしながら撮影したと思われる。

 ギヤ・マングスタは、1966年トリノショーで発表されたギヤ社初のショーカーであり、後のカウンタックなどのスーパーカーを生み出したジュウジアーロがデザインに関わっている。
バンダイとしてはかなり正確にデザインを再現しているように思える。それを杉崎氏はいつものように器用に組み立てているところが凄いところだ。
 

 

 

 

 

 


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