杉崎氏がモデルスピードライフにおいて我々に宛てたメッセージはモデルカーはいかに実車に迫る作り込みが出来るか挑戦しようということではないかと思う。
 モデルカーレーシングというジャンルは杉崎氏とっては鉄道模型やミリタリー模型を作るのと同じ思いを持って製作していたのではないだろうか。 しかしながら実際の全日本やオール関東などの当時のレースシーンを見ると塗装も自由で綺麗とは言えず、クリヤーボディになってからはライト部などシルバーで塗ればOKだった。よってボディは単なるシャーシのカバーのようなものぐらいに思われていたのではないか。 速ければ汚くていい!確かにレギュレーションに合致していればルール上は問題ないのだが、氏の思いはなんとか鉄道模型のように本物と同じような世界を作り上げることがモデルカーレーシングでできないかではなかったか。

 興奮覚めやまない第4回日本グランプリの余韻を杉崎氏はまず表紙のジオラマで表現して見せた。
ニッサンR380IIとドン・ニコルズ駆るローラT70を登場させ、富士スピードウェイのヘアピンコーナーでのデッドヒートを再現させた。
いつものように背景の観客周辺は写真か絵画で興奮のグランプリの雰囲気を上手く再現している。

 前に製作したタミヤ製キングコブラとポルシェカレラ6との合体により完成したニッサンR380IIは思いもつかぬアイデアであったが、今回の改造モデルはやはりタミヤ製ローラT70のウインドウを実車同様にプロトタイプ規約(グループ6クラス)にするためにウインドウの形状を別パーツを製作し取り付けている。
ちなみに、この表紙をよく見るとニッサンR380IIも実際にレースに出場した高橋国光選手のマシンにゼッケン等変更している。そこのところがなんとも凄い!!
 当時は今のようにデカールをPCで自作するなど出来ない時代。 ないデカールは手書きで書きましょう!描きましょう!が杉崎氏のやり方であり今更ながら驚いてしまう。 ちなみに現在のモデラーの中でも手書きするモデラーが存在する。 野上 稔 氏である。野上氏こそモデラーとして杉崎氏の後継者ではと私は思っている。
 
 下のローラの製作記の中にもクラス分けステッカーを手書きで描くよう解説されている。
また、ウインドウも性格に寸法が書かれており、実際に作った読者も多々いたのではないだろうか。
ただ、タミヤのローラT70は初期型“MKI” であり、ドン・ニコルズ(エントリー名はR.クラークだった)のローラT70は発展型の“MKII”なので本来であればフロントカウルなどを改造する必要があるのだが・・・。
 今回より「模型とラジオ」誌に吸収されてのNo.21であるが、サーキットや科学教材社では「モデルスピードライフ」だけのページを単独で販売もされていた。当時価格はなんと30円であった。

 
 
 
 

 

 



 


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