この4月号は後々私にとっては忘れられない記事と表紙ジオラマとなるものであった。
この表紙の30度バンクを持つ富士スピードウェイは1965年末に完成し、翌1966年にはジム・クラークを来賓とし招き、クラークがテスト用のブラバムF3で周回しこけら落としをしたサーキットである。
そして、日本初のバンク付き高速スピードウェイとして鈴鹿サーキットと共に国際形式のレースを開催できるFIA公認コースでもあったのだ。
 1966年5月3日、記念すべき「第3回日本グランプリ」」が開催され、メインレースにはFIA公認グループ6クラス(プロトタイプカークラス)にグランプリが懸けられ、見事日本初のプロトタイプカー“プリンスR380”が優勝した。
そして、翌年再びこのコースで「第4回日本グランプリ」が開催された。
 このモデルスピードライフ4月号ではまだグランプリは開催されていないのだが、いち早く発表された“ニッサンR380II”を杉崎氏がなんとタミヤ製ポルシェカレラ6とキングコブラのボディを合体させ、見事にニッサンR380IIを再現して見せた。
 私が中学1年生の時に、この4月号を見た時の感動は忘れられない。 ただモデルカーを作るのではなく、このように背景を作ればモデルカーたちも一層引き立つことを杉崎氏の表現技術で知ることができたのだった。

 さて、ニッサンR380IIは前年覇者のプリンス自動車を吸収合併したニッサン車として登場し、外見は前年に活躍した“ポルシェ・カレラ6”のスタイルを継承しながらも独自のスタイルを持つ最新のレーシングカーであった。
しかし、結果は3台揃えたカレラ6と生沢 徹というスタードライバーによってニッサンは2位に甘んじることとなる。
 杉崎氏の製作記事については下記をご覧いただきたいと思う。
また、無謀にも作例にそって“凡太郎少年の製作記”として合体モデルに挑戦した記事も恥ずかしながら見てほしい。

 そして、「プラスチックモデルカー製作のコツ」においてはなんとも懐かしい「噴霧ガンの作り方」はさすがマルチモデラーの杉崎氏だと唸ってしまう記事である。
 
 
 
 

 
 
  

  

   

  

 

 

 


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