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1966年は日本では新しい富士スピードウェイにおいて、「第3回日本グランプリ」が開催され、今までとは違うプロトタイプカーによる(グループ6)グランプリが開催され、プリンスR380が優勝し、メーカー対決の幕が上がった。 世界に目を向けるとル・マン24時間を頂点とするマニファクチャラーズ世界選手権において、それまで王者を守り続けていた“FERRARI”がアメリカの“FORD”に敗れ、歴史が変わろうとしていた。 また、アメリカにおいては、排気量無制限の「CAN-AMシリーズ」が開幕!! そして、ハイウイング(当初フリッパーと呼ばれていた)を翳した“CHAPARRAL 2E”が登場し、エアロダイナミクスの世界を変えようとしていた。 さらに1967年になると復活したフェラーリが最新の"FERRARI 330P4"をマニファクチャラーズ選手権開幕戦であるデイトナ24時間レースに参戦し、地元フォードを見事破り昨年のル・マンでの仇をとり、さらにワン・ツー・スリーフィニッシュでゴールして見せたのであった。まさにプロトタイプレースは世界の頂点となるレースに成長していった。そんな時代であった。 そんな時代背景とは裏腹に、急激なスロットカーブーム衰退について行けず倒産するメーカーが出るほどの打撃を受け、時代はクリヤーボディメーカーと真鍮パイプなどを使ったシャーシを作り販売するメーカーなどによって継続されていた。 クリヤーボディメーカーは、クライマックス社を中心として世界の最新レーシングカーを約半年のサイクルで発売されていたと記憶している。 私たちも発売されたばかりのCHAPARRAL 2Eを購入し、1/24のCAN-AMシリーズを開催しながら遊んだものである。 表紙は解説によると“ナッソー・スピードウィーク”を再現したと書かれており、杉崎氏はこの時期のほとんどの表紙の背景ジオラマ製作を担当していたと思われる。 また、製作記事においては、スロットカー製作よりもビッグスケール精密モデル製作が多いように感じる。 第2回「プラスチックモデルカー製作のコツ」ではなんと懐かしい殺虫剤用噴霧器が登場! |
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