手持ちの資料によると“杉崎 英明”氏がモデル・スピードライフ誌に初めて登場したのはこの号からである。
「ラップカウンター」の製作とサーキットでのテスト風景などのレポート記事であった。
 ちなみにどのようにラップが記録されるのかと説明文を読んでみると「なるほど」そうなんだ!と思いましたが、やはり人力は必要だったんですね!当時の2000円と言えば、ラーメンが50円ほど、週刊少年マガジンなどもまだ50円か60円だったと記憶している時代。 国鉄のこども1区間料金も確か5円だった!
タミヤや他の国産メーカーのスロットカーキット価格がモーターなしで800円〜1200円ぐらいだった時代だ。
私などは1965年当時、小学校5年生であり、杉崎氏はすでに大人だったんだと再認識した次第だ。

 この号のレース結果ページに杉崎氏が製作した“プリンスR380”が「第1回タミヤプリンスR380レース」のコンクール・ド・エレガンスで優勝したことが記載されている。このR380製作記事は、次号に掲載されることとなる。
 
ちなみに、この号の表紙は、「東京ストックカー・モデル・レーシング・チーム」のストックカーレース参加車両を中心に杉崎氏と共に最後までモデル・スピードライフ誌のモデルカー製作記事等を担当した“萩原 勇一朗”氏が担当した。
 
 

 

 

GO TO TOP

GO TO TOPPAGE

SPECIAL THANKS : KAGAKU KYOZAISHA Co.