The Battle 
TOYOTA vs NISSAN 

 
 当時中学2年生であった私は、5月3日の第5回日本グランプリレースのTV放送が楽しみであったことを思い出す。
それは、ニッサン、トヨタの全面的激突、タキ・レーシングチームのグランプリ挑戦、そして、TETSUの参戦というトリプルな話題に日本中が異常なほどヒートしていたからだ。今のF1日本グランプリ開催とは次元が違うほどの盛り上がりだった。
さらに、モータースポーツ雑誌はもとより、月刊少年、少年ブックなどの子供向け雑誌や、週刊プレイボーイ、平凡パンチなどの大衆雑誌も挙って日本グランプリの話題を報道し続けるほどの熱狂振りであった。それらの現象は、それまでの日本では考えられないことであった。
 そして、生沢 徹である。TETSUのイギリスでの活躍は、毎月報道され、まさにTETSUは時の人となっていた。一ドライバーと言うだけでなく、TETSUの行動は、常に注目され、映画スター顔負けの人気であった。
綺麗な彼女(のちの夫人)を連れてパドッグを歩くTETSU。最新のファッションに身を包むTETSU。若者はTETSUに憧れたものだ。そして、イギリスでは、一匹狼レーシング・ドライバーとして、日本人初の優勝までしてしまうのだから・・・・。

また、TETSU以外の話題も豊富だ。まず、日本グランプリにオール自社製“トヨタ-7”で本格的に参戦するトヨタの脅威。迎え撃つニッサン。そして、最新のローラT70MKIIIを2台、ローラT70MKII、ポルシェカレラ10などで2大メーカーに挑むタキ・レーシングチーム。その内の1台であるカレラ10に乗り込むTETSU。
TETSUは、当時のワークス・ポルシェに乗る可能性がある唯一の日本人ドライバーでもあった。それゆえ、TETSUはカレラ10を選んだ。

 私は、1969年の日本グランプリも良かったが、ベストグランプリを選ぶのであれば、迷わずこの第5回日本グランプリを選ぶ。
タキ・レーシングのローラT70MKIII(田中健二郎)と2台のニッサンR381の序盤戦のデッドヒート。TETSUの終盤の追い上げ。場内アナウンサーが1周遅れだったTETSUが、トップのニッサンを抜いた時に思わず叫んでしまった「TETSUトップに立ちました!!」。
とにかく、エキサイティングだった。
 


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(C) Photographs by Sakaei Yagi.