1968年の日本グランプリは、まさにTETSU IKUZAWAのためのレースだったと言っていいのではないだろうか。
メインの第5回日本グランプリレースはもとより、セミファイナルと言うべきフォーミュラカーによる「日本スピードカップレース」でもTETSUの活躍は、他のいかなるドライバーよりも抜きん出ていたと思う。
メインレースでは、自社製でないシボレーV8 5500ccの大排気量エンジンを武器に、ニッサンが前年の仇を返したという結果に終わったが、シボレーエンジンの半分以下の2000ccエンジンで挑戦したTETSUのポルシェカレラ10は、優勝した北野 元のニッサンR381にわずか1周の差で勝利を逃した。逃したというよりもよく1周の差で2位になったと言うべきかも知れない。

 そして、メインレースが始まる前に行なわれたフォーミュラカーレース「日本スピードカップ」にもTETSUは、急遽、タキ・レーシング所有の“ブラウン・ベア・スペシャル(ブラバムF-3/ロータスツインカム1600cc)”で出場。全30周レースの内、27周目にガス欠になるまでTETSUは、三菱ファクトリーをリードし続けた。結果的に、ピットイン時にエンジンを切らなかったために失格となるのだが、プライベートマシンでのトップ独走劇は、メインレース以上のインパクトを観客に見せつけたのだった。
 


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(C) Photographs by Sakaei Yagi.