(C) Photographs by Yoshiyuki Tamura.

 上の画像は、メインスタンド前を手を上げながら走り去る鮒子田 寛氏とトヨタ 7。今回のハイライトであります。
鮒子田氏とこの#8号車トヨタ 7は、皆さんご存知の通り、当時のオリジナルな組み合わせではないのです。
 #8号車のトヨタ 7は、故 川合 稔氏が乗り、1969年日本CAN-AMで優勝したマシンそのものです。
鮒子田氏と言えば、予選をチーム・トヨタ中最高タイムを出して2位で通過したものの、決勝リタイヤという不運。
しかし、言い換えてみれば、今回の組み合わせは、チーム・トヨタにおける最高のマシンと最高のドライバーの組み合わせが38年振りに実現したと考えることは出来ないでしょうか。

 ここで、38年前にタイムスリップして、11月22日の日本CAN-AM予選の模様を当時のモータースポーツ誌「オートテクニック」の記事より引用抜粋して紹介したいと思います。ニッサン勢、ワークス・マクラーレン、シャパラル(チャパラルとも言いますが・・・)、そして、日本グランプリの雪辱戦として期待されていたジョー・シファートとポルシェ917PAなどは結局不参加となるのですが、当時、ワークス・マクラーレン勢を苦しめていたピーター・ブライアント設計の新鋭チタニウムマシン“オートコーストTi22”の参加により、昨年同様に盛り上がりを見せていました。
 そして、物量作戦で優勝を狙っていたチーム・トヨタの作戦とは・・・。
それは、ジャッキー・オリバーとオートコーストTi22の完全包囲作戦だったと・・・。


 決戦前夜(11月22日 公式予選) 富士スピードウェイ左回り4.3Km

 20日、21日は公式練習が行われた。いずれもそれほどよい天気とはいえなかったが、練習中は雨が降らず、各マシンともかなりなタイムを出していた。
 まず、オートコーストが1周4.3Kmを1分16秒台という好タイムを出し、調子がよさそうだった。
昨年の優勝者レブソン、再度来日のパーソンズなどは多少余裕のある走り方をしていたが、それほどのタイムではなかった。
 トヨタ7も1分17秒台のタイムで走ったりしてかなり飛ばしている感じだった。外国勢の中には猫の目のように変わる富士の気象条件についていけないメカニックと、ドライバーが口論したりする場面も見受けられ、練習中から、今回のレースが甘くないことを知らされた様子だった。
 22日のプラクティスは午前11時から1時間と、午後2時から2時間の計3時間。
 夜明け方まで雨が降り続き、ようやく止んだものの、いつまた降り出すかわからない曇り空で、気温もまったく上がらず、コンディションとしてはあまり良くなかった。
 11時からのプラクティスではどの車もウェットタイヤをつけて走った。第1コーナーあたりには路面に水溜りができ、通過する各車は水しぶきを上げるという状態だった。

 
 12時までの第1次プラクティスでは、そんなわけで、各車ともタイムは良くなかった。ローラT163の#10パーソンズの1分22秒97が最高タイムで、トヨタ7の#7細谷、マクラーレン・トヨタの#5鮒子田が24秒台でそれに続き、そのほかはいずれも26秒以下の成績だった。
注目されたオートコーストTi22の#22ジャッキー・オリバーも1分26秒23に終わった。
 午後2時からの第2次プラクティスの時間になっても、湿度が高く、ときおり霧雨も降り、路面は乾いてくるというほどでもなかった。
 午前中走行しなかった#11モッチェンバッハ(マクラーレンM12)、#12大石(同)、#45ジョン・キャノン(フォードG7A)、#99ジョン・コルツ(マクラーレンM6B)もコースインし、2時から2時30分の間は18台ともすべて出走した。
 タイムはいぜんとして縮まらなかった。速ければ1分15秒台のタイムが出るという予想もあったにもかかわらず、20秒すら切る車が出てこなかった。
しかし、3時近くなって、やっと一台だけ20秒の壁をやぶった。#22オリバーが1分19秒83というタイムを出した。
#8川合、#10パーソンズ、#31レブソンなどが20秒台を出し、あと一歩というところまできた。
 3時過ぎ、#22オリバーがマシン調整のため、パドックに戻っている間に、#5鮒子田のマクラーレン・トヨタが1分19秒61のタイムを出し、オリバーをわずかに上回った。#44キャノンも1分20秒04という。これまでの3番目のタイムを出し、フォードG7Aの威力を示した。
 4時のプラクティス終了の時間が近づくにつれて、路面の状況はほんのわずかながら、良くなってきた。
 #5鮒子田がついに18秒52を出した。3時半過ぎに再びコースインした#22オリバーもポールポジションを目指して、懸命に飛ばした。4時近くなって、ついにオリバーは1分18秒19を記録し、ポールポジションを獲得することに成功した。
 #8川合も終了近くに1分19秒13のタイムで、予選順位で第3番目となり、#31レブソンが1分19秒75で4位となり、結局この4台が20秒を切った。
 コンディションが良くないということがあったが、タイムとしてはそれほど良いものとはいえないものだった。しかし、トヨタ勢が2位、3位、7位、8位と上位を占め、はっきりと優勝戦線の一角に食い込み、レースを盛り上げるのに一役買った。
*1969年発行「オートテクニック」誌より引用抜粋させて頂きました。

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Special thanks Hiroshi Fushida & Toyota Motorsport.