風戸 裕とジョーホンダ。
1971年、風戸 裕は、当時北米大陸で大人気だった"CAN-AM"にフル参戦していた。一方、ジョーホンダもヨーロッパでのレース取材において、ホンダF1チームの撤退や相次ぐ有名ドライバーの事故死などの影響も重なり、現状の仕事に少々ストレスを感じていた。
そんな時思いついたのは、アメリカ大陸だった。アメリカで行われているモータースポーツは、ヨーロッパの伝統的なレースとはかなり違う。
その象徴があのインディ500マイルレースやデイトナ500マイルレースである。ジョーホンダは、そんな開けっぴろげで明るいアメリカンレースを撮ってやろう!と思った。
 1969〜1970年はスポットでのアメリカンレース取材であったが、1971年からはインディ、デイトナ、CAN-AM、そして、ドラッグレースまでかなりの日数をアメリカで過ごすスケジュールを組んでの取材活動を開始したのだ。
そして、ジョーホンダは一人奮闘する日本人ドライバーを出会う。それが風戸 裕であった。
風戸は、1969年日本グランプリにタキレーシングチームのポルシェ910で本格的なデビューを飾り、その後全日本選手権のチャンピオンとなり、富士グランチャンではポルシェ908IIで生沢 徹を破り待望のビッグレース1勝を飾る。その後、戦いの場を海外に求め、CAN-AMチャレンジとなったのだ。富士スピードウェイで育った風戸をジョーホンダはどのように見ていたのだろうか。

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(C) Photographs by Joe Honda.

Special thanks Joe Honda.