宮崎勇さん(本学会顧問)の逝去を悼む 


 日中関係学会の創設時から顧問をされてきた宮崎勇さんが2016年1月3日に逝去されました。宮崎さんの本学会へのご貢献に感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします。
 宮崎さんと親交のあった川西重忠理事の追悼文を以下に掲載します。また藤村副会長がフジサンケイビジネスアイ紙に書いたコラムも転載します。
 会員の方は伊藤俊彦さん「宮崎勇先生と中国との関わり」もご参照ください(「中国NOW」欄より)。


宮崎勇先生と日中関係学会
                     川西重忠(桜美林大学教授、日中関係学会理事)
  
 過日、ホテルニューオータニの宮崎勇先生の追悼会に参加した。宮崎先生の一連の写真を見ながら、北京で初めてお会いして以来のことを思い浮かべた。26年前に北京で初めてお会いした時も、帰国後に時々、ご自宅や会合でお会いした時も笑顔と温顔はいつも変わらなかった。
 天安門事件で世界が揺れていた当時、宮崎先生は日中関係の現状と将来を憂えていた。日中関係学会の設立にも変わらぬご支援を戴いた。天安門事件前後の北京駐在員が中心になって立ち上げたのが日中関係学会であるが、その発足時に宮崎先生は次々に御友人をご紹介して下さり、学会創設に実に大きな役割を果たされた。
 天安門事件の余燼が漂うなか、宮崎勇先生を団長とした日本視察団が北京入りしたニュースが中国メデイアに大きく放映された。北京駐在者は宮崎勇先生と永井道雄両先生の歓迎レセプションにこぞって参加した。竹内実先生もご一緒であった。あの時を境にして日中両国に明るさが戻ってきたのを鮮明に思い出す。思えば26年間、宮崎先生はあの笑顔で私たちの中にいつもご一緒であった。そしてこれからも。


宮崎勇氏と朱鎔基元首相の親しい付き合い
                    藤村幸義(拓殖大学名誉教授、日中関係学会副会長)

 ことし1月に逝去された元経済企画庁長官の宮崎勇氏を「送る会」が先週、都内のホテルで開かれた。宮崎氏は戦後日本の経済政策を立案し、官庁エコノミストの草分け的存在だったが、日中の経済交流の面でも大きな足跡を残した。
 「送る会」では福田康夫元首相の弔辞に続いて、中国の朱鎔基元首相と唐家璇元外相からの弔電が披露された。とりわけ朱氏は宮崎氏について「彼は謙虚で謹厳、博学の官僚であり、かつ学者でもあり、私にとっては得難い良友でした」と長年にわたった交流を懐かしんだ。
 宮崎氏は経済企画庁時代に、日本の政府代表として何度も中国を訪れた。特に国家計画委員会(現在の国家発展改革委員会)とは定期的に相互交流を行っていた。当時、国家計画委員会の副主任だったのが朱氏であり、その頃から親しい交流があったようだ。
 朱氏は、「生前は一途に中日友好の促進に尽力され、中日両国の経済交流を推進されました。また、30数年の長きにわたり終始一貫して中日経済知識交流会の活動に参加され、中国の地域発展、企業改革、行政改革などに素晴らしい提言をされました。中国経済の発展にとっては大変大きな貢献をされ、中国人民の尊敬を集めておられました」と宮崎氏を高く評価した。
 最後に朱氏は、「2010年4月に北京で最後にお目に掛かったのがまるで昨日のようです。私はこのような親友を持つことが出来たことを誇りに感じています」と結んだ。朱氏は首相退任後、政治の表舞台にはほとんど姿を見せていないが、宮崎氏だけは例外だった。宮崎氏が訪中した時には、万難を排して会ってくれるし、食事に招待されたこともあったという。
 朱氏と言えば、部下への厳しい指導ぶりで知られていた。日本経済新聞社が一度、朱氏を招き、講演してもらったことがある。事前に原稿もいただいていたが、実際の講演内容はその原稿とは全く違っていた。後で関係者から、最初の原稿はボツにされた、との話を聞いた。今回の弔電もあるいは下書きがあったかもしれないが、最後は朱氏が手を加えたに違いない。
 それにしても、いまの日中両国で互いにこれほど信頼し合った付き合いがあるだろうか。日中関係は一時に比べれば、好転しているとはいえ、改善のテンポは遅い。両国指導者間の信頼関係の欠如が、その最大の原因であろう。