大山街道景観形成協議会

人にも車にも安心・安全で景観よい大山街道を目指す

 大山街道活性化推進協議会発足時には,大山街道に係わりを持つ人には街道に対する課題はおおまかには見えていたと思います。その最も大きな一つが「人にも車にも安心で安全で景観よい大山街道を目指す」ことです。これなくして街道の先や繁栄はありません。側溝も所詮車道の一部で、歩くところではなく歩くには危険です。車も街道の悪さから来るつまらない事故を起こしたくありませんし、車も街道の悪さからの被害者になる場合もあります。これを改善するのは大変なことなのは誰でもわかります。そもそもから、記述している理由は、スタートして10年「今振り返ってみると流れの一つ一つが全部重要だった」と思うからです。

 30年,50年かけてでもと言うのが最初からの覚悟です。従って世代交代しながら永遠に続く、終わりない活動と言えます。溝口に条令を告示したのは2006年2月、二子は2009年9月でしたが、条例化に至っていない段階でもお願いを続け、2013年の今該当した建物は60を数えるに至っています。ほとんどの建築者の方にご協力いただけ、ホッとする部分も徐々に増え街道は徐々に「安全・安心・景観よい」街道に変化していることを感じています。

 これを推進するための文章的なものや手続き的なものはほんの一部であり、多くは地権者の中の一握りの反対者との整合に費やされたと言えます。二子の条令を告示するまでには、大小の諸々の会合を100回ほど行いました。また、この活動は表向きは民主体ではありましたが、実質は民と官の協働でなければ対処できないものであり、途中から「協働とは民も官も同じストレスを感じるものでなければならない」と定義するようになりました。民か官かどちらかであっさりやれるものは、さっさとどちらかでやればよいもので、それを行わないのは怠惰である、と言うことです。開始時点の2004年から2013年までで、行政の課長は6代の交替をしており、民側での流れの把握と意識の維持も続けなければなりません。行政ほど頻繁には交代しませんが、また悪役的な存在にもなる場合もありますので積極的な引き受け手は少ないですが、民側の交代も当然いずれ起こります。このホームページもそのようなために役立てればと作成しています。

「苦労したものほど影響も効果も大きい」「苦労したものほど永続性がある」などと思いたいと思います。拠り所にしたものは推進派は勿論ですが「自分の土地の利用に制限を受けるのはいやだ、でもそうしなければ街道環境の問題が解消されないのもわかる、と言う常識派の人々が圧倒的に多いだろう。成果が徐々に見えるようになれば、堂々とした条令無視もし難くなるだろう」というものでした。


質疑応答 よく出た質疑であるが、想定質問など一度も考えたことはなかった。そもそも技術的に難しいものでもなく、どうでも応じることが出来ると思っていたからである。行政と臨機応変に瞬間的な知恵を出しながら終えてしまっている。

日本国憲法

溝口大山街道振興会 情報誌「大山街道景観形成・溝口地区のこれまで」(2008年に溝口地区に配付したもの)
極めて詳細なものはここにあります。