ピアノの鍵盤は実によくできている。 先日私は好奇心に駆られて<チェンバロでジャズ曲を弾く>というソロ・コンサートをやってしまった。 聴きに来て下さった方々は知らず、私に限っていえば近来これほど面白かったことはない。ピアノでは得られないような発想、着想、構想が湧き、弾くにつれて自分が変化して行くのがわかった。つまり私の音楽のなかで「体感」がどれほど重要な役割を演じているか、をあらためて思い知る機会となったということができる。そのような好い事づくめのコンサートのなかで、ただひとつ、大きな落とし穴によって人知れず冷や汗をかくことになろうとは。その原因こそ、ほとんど無重量といえるほどに軽いチェンバロ鍵盤であった。 |
【初出:『JazzLife』1999年7月号】 |
終わり良ければすべてよし。 曲書きは、なかばを過ぎるあたりから「どう終わるか」を考えなくてはならない。 編曲で考えられる終わりかたにはいくつかのパターンがある。
ひとりの人間の生きかたも一曲だとすると、エンディングの善し悪しでそのひとの「位」が決まるのではなかろうか。ただし、三島のように行動する、つまり自ら演出しないかぎり、終わりがいつなのか予測できないところが難しい。だからむかしのサムライはどこで終幕に遭遇してもあわてないように日頃から鍛練し、「男子ひとたび家を出れば七人の敵あり」と常に油断なく行動することを求められていた。万一突然の幕切れからのがれようとするような臆病な振るまいがあったときには、「士道不覚悟につき」切腹させられたのだ。そのような規範で生きていることによって、農工商の上に立つ階級として認められていたわけだ。 |
【初出:『JazzLife』1999年8月号】 |
「古今東西」というあそびがある。 その1。 はじめて訪れた地方都市で、地元のFM局のインタビューがあるから、と空港に着く早々スタジオへ。アナウンサー、「佐藤さん、○○市の印象は?」 その2。 写真家という人たちは、撮る人物がすべて演技できると思っているのだろうか。「はい、顔を少しライト向きに。もう少し。ハイそこです。目線だけカメラにください。いや目線は少し遠くを見る感じにしましょう。きもーち下の方。あ、顔は動かさないで。上体はそのまま。左肩ちょい上げ。あ、良いですね。じゃこれで撮ります。う〜ん表情が固いな。ちょっと笑って」‥‥そら来た。顔や視線をあちこち向けさせたあげく、笑えという。役者じゃないんだから、おかしくもないのに笑えるか。だれか面白いこと言ってくれよ。凍り付くギャグでも駄洒落でもいいから、と願うが、こういうときにそこまで気のまわるスタッフはまずいない。スタジオ中次第にし〜んと静まり返ってくる。しかたがないから自分で落語の一節などやってみても、周囲は笑うけれど本人はちっともおかしくない。むりやり作った笑いは目でわかる。目が冷静だから、いかに顔の筋肉が笑ったときのフォーメイションになっていようとも、表情が死んでいるのだ。レンズは正直にありのままを写す。なにしろ写真というくらいのものだ。 その3。 「お忙しいところを恐縮ですが、お願いしたオリジナル曲の曲名と解説を今週末までにいただけませんでしょうか」え?まだコンサートまで三ヶ月もありますよ。演奏者には一ヶ月前にわたせばよかったのでは?「それはそうなんですが、広告とか載せる雑誌の締め切りが今週なので」そうおっしゃられても、まだなにも手をつけていないんですけど。「そこをなんとか、曲名だけでもお願いします」 |
【初出:『JazzLife』1999年9月号】 |
1863年(文久三年)6月6日、山口に呼び出されて藩主毛利慶親から馬関(下関)防衛について下問された高杉晋作は、奇兵隊編成計画を提議して許可され、ただちに下関の豪商、廻船問屋白石正一郎宅で隊士募集にとりかかる。 「つまりランドゥーガちゅうのは、音楽の奇兵隊みたいなもんじゃろうが」 さて、<音の奇兵隊>というタイトルを与えられて、ランドゥーガは今年もまた10月に功山寺で「挙兵」することになり、その前段として、8月6〜8日山口県秋芳町の秋吉台国際芸術村で二泊三日のセミナーを行った。 |
【初出:『JazzLife』1999年10月号】 |
ガラ、というと何を思い浮かべるか。
着物の柄と体格をのぞいて、あまりパッとしない語感だ。しかし英語のgalaはスポーツや劇場での特別な催し、祭典、祝祭といっためでたい言葉になる。正しい発音は辞書によるとガーラ、ゲイラ、またはゲァラのようだが、日本ではガラで定着している。 ニッポンコクにも、以前は立派な正装があった。紋付、羽織、袴というやつ。 そうそう、ガラ・コンサートである。 |
【初出:『JazzLife』1999年11月号】 |
私の加入しているインターネットのプロバイダーが大手の会社に吸収されたために、Eメールのアドレスが変わります、という「お知らせ」がきた。
よくぞここまで繰り返しを多くしたもんだ。ほとんどボケ老人の繰り言に近い。読み手の思考力を減退させるのが目的ならば大成功。
ダイヤラーうんぬんの部分で告知すべきもっとも大事なことは、コンピューターの設定を変えなくてはいけない、ということだ。なのに「新サーバー情報へのご変更作業」だけとはいかにも不親切。英文ではちゃんと「あなたのコンピューター・ソフトを訂正すること」とわかる表現になっている。 | ||
【初出:『JazzLife』1999年12月号】 |