「今までにアルバム何枚作りましたか?」 氏の人脈には何人かのディスク蒐集家がいるようで、その人たちが氏の目的を知ってさまざまな情報を寄せてくれるのだが、そのなかに「こんなものを前に見たことがあった」というようなものも含まれていて、それが氏を困惑させるのだ。
一見しただけでも堂々たるものである。これで中身がエリントンとかコルトレーンだったらよかったのだが、私ではどうしても役者が劣る。それはどうしようもないことなので、以後気合いを入れて仕事をすることで、この一冊にこめられた高橋氏の意気とエネルギーに少しでも報いたいと思う。 ◆◆ 詳細は、《Book》ページへ ◆◆ |
【初出:『JazzLife』1999年1月号】 |
ロシア極東へ行くことになった。 ハバロフスクへは新潟空港から行く。当然のことながら航空会社は「あの」アエロフロートである。数々の苦い経験を話し出したら長くなるから「あの」で済ませておく。 <つづく> |
【初出:『JazzLife』1999年2月号】 |
ロシア極東〜プラハツアー (2) 現地語で挨拶と曲紹介をするとコンサートの雰囲気が一挙に盛り上がる。 <つづく> |
【初出:『JazzLife』1999年3月号】 |
ロシア極東〜プラハツアー (3) 「なに?、水道工事は△○工務店?」「週刊☆◇だってよー」「鮮魚の魚政?」「◎▽本舗ってなんだっけ?」「お菓子屋さんでしょ」「おやおや、□×マヨネーズだってさ」 <つづく> |
【初出:『JazzLife』1999年4月号】 |
ロシア極東〜プラハツアー (4) 駅がやたらに明るいのは日本だけなのかもしれない。 車内は異常な暑さである。そのうえ各コンパートメントの天井、通路のあちこちに埋め込まれてあるスピーカーからアメリカンロックのようなものが大音量で流れてくる。 <つづく> |
【初出:『JazzLife』1999年5月号】 |
ロシア極東〜プラハツアー (5) 暑いのと隣室のきしみ音で怪夢と半醒のあいだを行き来しているうちに夜が明けてきた。 さて、ホテルの部屋にいろいろなものが領事館のスタッフによって運び込まれた。電気ヒーター、湯沸しポット、コーヒーメーカー、コーヒーカップ、皿、スプーン、箸、コーヒー、クッキー、トイレットペーパー、スリッパ。給湯がままならず、暖房もいつ切れるかわからないというので、領事館員のご家族が貸し出して下さったのである。タッパーにはいなりずしまで入っている。「せっかく来てくださったのに、こんな事態で申し訳ない。もし風邪でも引かれたら大変ですから」ということだが、われわれはほんの三日ほどで移動してしまうけれど、館員とご家族は何年も“こんな事態”のなかで暮らさねばならない。申し訳ないのはこちらの方である。日露間の意志の疎通は、こういう方達の日々の努力の上に成り立っているのだから、ロシア極東にいる間だけは我々も同じ条件ですごさねばならないのではなかろうか。 日本を出るときに周りが心配したようなあやういことは少しもなく、われわれはウラジオストクからモスクワへアエロフロートで飛んだ。零下21度の赤の広場で硬直し、隣接した地下三階の巨大かつ豪華なショッピングモールに驚き、旧ゴーリキー通りでレストランをさがしあぐねて凍えそうになる。翌日はプラハ着いて街並みに感激するのであるが、あっと驚くような話題に欠けるので、これをもって報告終了。 |
【初出:『JazzLife』1999年6月号】 |