ギョーカイ用語をイッパンジンに向けてしゃべらないでください。 日本語ばかりでなく、世の中が乱れます。 ギョーカイ用語はもともと外部と内部を区別するためのもので、一種の暗号・符牒であった。 それが次第にイッパンジン側に漏れだすようになる。漏れ出た言葉は暗号という本来の機能を失ってしまうかわりに、やがては通常の日本語として認知される。しかし、言葉の品格から言えば、もとが暗号のようなものなので、いささか劣るのは否定できない。ギョーカイ用語が増えれば増えるほど、日本語はいかがわしいものになって行くだろう。 漏れ出すにはふたつの経路がある。ひとつはギョーカイジンであることを得意になってひけらかす。もうひとつはギョーカイ慣れして、イッパン語とギョーカイ語の区別がつかなくなった人物が話す。そのどちらも、浸透するさいにはマスメディアがかかわっている。 たとえば「メセン」(目線)という言葉はもともと映画やテレビ用語だった。クローズアップされた人物の目の方向、の意味である。目がカメラ、つまり観客のほうを向くことを「カメラメセン」、などという。視線や視点とは違うことだったのに、ギョーカイジンが乱発した結果、イッパンジンのあいだで「子供のメセンでものを考える」というような言いまわしが通じるようになってしまった。 足らんと、いや失礼、タレントと呼ばれる種族がテレビでギョーカイことばを得意になってしゃべる。それをカッコイイと思ったイッパンジンが真似る。これが浸透の構図だ。 別名マスメディア教洗脳の術。 日本を導く(実体はともかく)べき政治の世界にも、われわれがうかがい知れぬ特殊用語があるらしい。 先日、なんとなくテレビをみていたときのことである。何人かの政治家が討論する番組だった。 「地方のクミチョウの選挙も…」という言葉が聞こえてきた。 え?近頃はマル暴のほうでも民主化が進んで組長を選挙で選ぶのか。それにしても政党の話だったはずなのになぜ?…司会者は当たり前のような表情で会話を続けているし… 何度も出現する「クミチョウ」を、話の前後関係から類推してみると、そのセンセイは市長や町長の選挙のことをしゃべっているのであった。「クミチョウ」ではなく「クビチョウ」。首長である。地方自治体の長、市長や町長を首長という。長い間なりたいなりたいと思っているうちに首も長くなるのだ。ロクロックビか。 たぶん彼らの仲間内では「クビチョウ」が普通名詞なのだろう。そして彼らのまわりに群がって情報を取る記者たちは、当然そのような“政治家用語”に習熟していなくてはならない。習熟の度合いが進むにつれて、記者自身も政治家用語を特殊ともなんとも感じなくなる。そういえば件の番組の司会者、前身は新聞記者だったな。 議員バッジとか、警察手帳のたぐいを何年も所持していると、心身ともにギョーカイに染まってしまい、ギョーカイ用語を使ってもよい場か、使うべきではない場かの区別がつかなくなってしまうのだ。 私は昨年度一年間、ある地方新聞の文化欄に月一回のコラムを書いていた。 音楽に多少関係のあることだたったら何を書いてもよいというので引き受けたのだが、意外なところで面食らうことがびたびあった。ま、ジャズの専門誌と新聞ではおのずから制約の違いがあって当然、このページのような自由さはあるまいと予想していたけれど、それをはるかに上回るものだった。毎回の攻防についてはまたの機会に譲るとして、何回目かに私は人間以外の生物が音楽を聴くか、というようなことを書くについてある研究者(かりにI先生と呼ぼう)の実体験をまじえた説を引用した。お会いして直接お話をうかがい、メモもとって正確を期したものである。むろん、こういう新聞のコラムに書かせていただくことについても了解されている。 原稿を送って何時間か経ったころ、担当者から電話である。 「やっとIさんと連絡がつきました。一応原稿を見せてくれというのでファックスします」という。「ちょっと待ってください。なんでI先生に連絡しなければならないのですか。だいいち、どうやって先生の電話番号を調べたのですか」 「新聞としては一応事実関係のウラを取りませんとね」 ???ウラ… 私は一瞬相手が何を言っているのかわからなかった。 刑事が容疑者の言った事を確かめるのを「ウラをとる」という。サスペンス劇場なんかによく出てくせりふだが、文化部の記者まで汚染されているのか。 そうか、新聞記者はどんな部署にいてもイッパンジンをそういう目で見るのだ。愚かなイッパンジンの書くものは信用できない。容疑者の言っていることと同じで、かならずウラをとる。 「オレは犯罪者か!」 すっかり丸くおなりになる前のサトーサンだったら即座に原稿引き上げ、となるところをぐっと我慢。「そこで警察用語をお使いになる必要はないと思いますがね。それはともかく、一方的にI先生に確かめる前に、私にひとこと言って下さるべきではないですか」 いきなり新聞社から電話がかかり、しかも「ウラをとる」が日常語になっているような記者が、刑事の尋問調で「これは事実ですか。確認してくれませんかね」とでも言ったとしたら、I先生の驚きはどれほどか。温厚なI先生の穏やかな日常を乱すまいと、私はアポイントメントをいただくための電話をする時間にも気を配っているのだ。お話をうかがっていてもご研究の邪魔にならないように、ご体調に障らないように、と手際よく短時間で切り上げるようにしたというのに。 この新聞社では、記者達の通常の会話も政治集落、警察集落の方言=ギョーカイ用語を頻発しているに違いない。 昔、新聞記者を無冠の帝王とか社会の木鐸と呼んだ。すなわちそのころの新聞記者は権力にへつらわない、冠をかぶらない帝王なのだ、という誇りをもっていた。木鐸とは古代中国で法令を人民に知らせるときに鳴らす木製の大鈴、転じて人々を教え導く人の意味である。 近頃は、誇りだけが残って、お上サイドの情報をただ流しているだけだと思ったら、すべてにちゃんとウラをお取りになる?。ご立派なことで。 それならば、大臣、官房長官の発言、捜査本部の発表のたぐいはすべてウラを取った結果記事になるのだ、と信じて良いのだな。 そして、たぶんおろかなイッパンジンは55年前のあの日をふたたび味わうことになる。 どうやら、ギョーカイ用語のタレ流しと日本の凋落の関係が見えてきた。 |
【初出:『JazzLife』2000年7月号】 |
またまた<トリプルピアノ・ネタ>登場! マラゲーニャはスペイン・アンダルシアの地中海に面した港、マラガ地方の舞踏・民謡曲。その旋法やリズムを取り入れて『マラゲーニャ』と名づけられた作品がクラシック界には複数存在する。ツィゴイネルワイゼンの作曲者サラサーテの<8つのスペイン舞曲>のなかにひとつ、それから同じスペインの作曲家アルベニスのピアノ組曲<エスパーニャ>のなかにひとつ。さらにそれをクライスラーがバイオリンに編曲したもの。 居留守 と マイルス ぐらい違うんだよォォォォー。あぁ疲れた。 |
【初出:『JazzLife』2000年8月号】 |
「ちょっと君のメモ帳みせてごらん。若いうちにいい加減なコードで覚えるとよくないからな…やっぱりかなり間違ってる。きょうこれ預かっていくよ。明日までに直しておいてやるから」 宮沢昭:1928年12月6日長野県松本市に生まれる。音楽家としてのスタートは陸軍軍楽隊。戦後ニュー・パシフィック、ブルーコーツなどのビッグバンドを経て伝説のピアニスト森安祥太郎のニュー・コンボに参加…以来日本ジャズのトップ・サキソフォニストとして活躍を続ける。 |
【初出:『JazzLife』2000年9月号】 |
百物語という遊びが江戸時代にあった。 座敷に百本の蝋燭を立て、参会者が順に怪談をする。一話ごとに灯をひとつ消して行き、百話終わって最後の一本を吹き消すと真の闇のなかにかならず怪異が出現… ビデオや深夜放送がなかった昔でも、人々は夜更かしが好きだったようで、落語などから察すると江戸時代人は平成時代人より享楽的でさえあったと言うべきかもしれない。 夜更かしどころではない。「徹宵語りて夜の明くるを知らず」。話しつづけて気がついたら夜が明けていた、だもんね。よく話のネタが尽きなかったと感心する。常日頃面白おかしく暮らしていればこそできたことだ。 しかし、もっと以前はただ単純に楽しみのためだけで語り明かすのではなかった。徹夜話しのもとをたどると、中国古代の道教信仰に行きつく。 道教では庚申(かのえさる)の深夜になると、眠っているあいだに体内の「三尸虫(さんしちゅう)」が天帝のところに訴え出て人の命を縮める、と説く。で、平安時代の貴族たちがその日は寝ずに徹夜で酒宴をした。これが庶民に広まり、仲間内で「講」とよばれる寄り合いを作って話すようになる。そのうちに「三尸虫?ンなもなぁどうでもいいや。とにかくおもしれぇ趣向で飲みながら夜っぴてさわごう」てなことで、庚申の晩にかぎらずいつでも、そして夏の夜は怪談が定番化したであろうことは容易に想像できる。 百物語はそのような経過で成立したと考えられる。 文明開化以前は日本中どこにでも真の闇があった。だから魑魅魍魎(ちみもうりょう)のたぐいもそのへんでひっそりと生息していられたに違いない。 「こう明るくなっちゃやって行けないね」とオバケ達はバリ島かどこかへ移住してしまったとみえて、ちかごろでは世の中とんとスリルがない。不思議なことはなにひとつ無…あったのですな、これが。 自宅で作ったシークエンスをスタジオのテープに移す作業をすべく、ノートパソコンをはじめ諸道具一式を搬入して開始しようとした、と思いねぇ。「数年前にくらべたら三分の一以下の分量だよね。これでももう時代遅れなんだから」とか言いつつケーブルをつなぎ、アウトプットから調卓に来た音をチェックしていたエンジニアのHR氏、「佐藤さん、この音LRで移動させてます?」「え?そんな妙なことやってないよ。こっちでは左からだけ出るようにしてあるけど」「でも音が動きますよ。」 なるほど、調卓の前に座って聴くと、あるときは左から、次には右から、そして中央、とふらふら揺れている。 「おかしいなぁ。家ではこんなじゃなかったけど」 念のためにシンセサイザーのPANのパラメーターをチェックしてみる。ここは左に寄せるためにL63になっているはず、だ、が… 「なんでRANDなんだよ」RAND=ランダム、つまり発音のたびに不規則に左右に振れる、という指令になっているではないか。いつのまに、といぶかりつつ修正。「どう?もう振れないはず」…「いや、まだ動いてますね」… ほかにそういうことが起きる仕掛けはない。 「しょうがないからそのままステレオで録っておいてあとでモノにまとめよう。チャンネルの無駄だけど」。とりあえず対応策を取って通過。あれこれ考えてスタジオ時間を浪費するのはもっとも稚拙な制作態度である。 「同期信号送ってください」「もう行ってますよ」 コンピューター自身の内部クロックではなく、スタジオのテープレコーダーの回転を基準にしてシークエンスを運行するために、画面上のクロック指定を『external(外部)』にして右向きの三角を押せば自動的に待機状態に入り、テープからの同期信号が来れば曲がスターする…はず…なの…だ…が… このソフトはヴァージョンアップしつつ使いつづけてもう10年近くなる。隅から隅まで熟知していると言える数少ないもののひとつだ。あちこちのページを呼び出して各種設定を確認する。すべて正常。なんで動かないのだ?まだオレの知らない隠しページや裏ワザがあったのか。再起動したり、設定をやりなおしたり、と右往左往を見かねて「他にこれを使っている人は、と…」HR氏は携帯で心当たりのプログラマーやキーボーディストを次々と当たってくれるが誰もつかまらない。土曜なのでディーラーは休み。果てはエンジニア仲間のチャンネルを使ってなにやら遠距離を旅行中の人を呼び出して質問する、というようなことまで試みるが、画面は右向き三角が点滅するばかり。 「あ、動いてますよ」とアシスタント・エンジニアのY君。 喜んで画面をたしかめるとクロック指定がいつのまにか『internal』に変っている。 「誰かさわった?」「…」「…」 停止ボタンをクリックする。「おい、止まらないぞ」 ノーブレーキ状態のシークエンスはエンディングに突入してやっと…普通はそこで静止するのだが。画面は0小節0拍1ユニットに戻ってまた走り始める。 「おーい、停まってくれよー」 もはやこれまで、今日の録音はバラシか、と覚悟を決めようとしたとき、 「どーしたんスかー」 ふらりと入ってきた今風の若者。 「トラブッちゃって弱ってるんだよ」「ちょっと失礼。どれどれ。…どこも間違ってないけどなー。もう一度同期信号ください」 あれ、嘘のようにスムースに動くではないか。 「どうやったの?」「いえ、なにも。じゃ、どーも」 私には彼の頭上に光背のようなものが見えた気がした。 「今のだれ?」「え?佐藤さんの知り合いじゃなかったんですか?」「いや、オレはてっきりHRさんの…」 こーゆーことがときどきあるんです。ス…タ…ジ…オ…で…は… |
【初出:『JazzLife』2000年10月号】 |
コンピューターを新しくするということは、仔犬か仔猫をもらってきてしつけるのと似ている。
思いつくままにちょっとした短文を書いてさえこれだけの無駄なキーアクションが必要だ。 |
【初出:『JazzLife』2000年11月号】 |
サックスの山口真文さんからテープと楽譜が送られて来た。 「一聴して度胆を抜かれました。日本で知られていないのはもったいない。」 さて、テープを何度か聴いているうちに、私もこういうスピードで弾いてみたいが、練習すればできるものなのだろうか、と思うようになった。「練習」だの「稽古」というものとは何十年も無縁で過ごしてきたのに、どうトチ狂ったのかわからない。ブーニンのCDなど聴いても挑戦してみようなどとはツメの先ほども感じなかったのに。 |
【初出:『JazzLife』2000年12月号】 |