診療所通信
        Clinic News Paper
No.111
2008/10/1

/                 川上診療所
 この季節、医療の世界では研究会や学会が多くなります。毎日のようにたくさんの会が、大小を問わず、国の内外を問わず、開かれます。自分の専門分野以外は、おのずと出席できず、山積する多種多様の医療問題に、ただ呆然としてしまうのもこの時期なのです。そういう会合とは別に「天晴くんを救う会」という会が結成されました。彼は千葉市の中学2年生。拡張型心筋症という重度の心臓病のため、治療法は心臓移植しかありません。日本では小児ガンの治療は普通に行われますが、15歳未満の臓器移植が法律で禁止されているため、米国で治療を受ける以外に方法はありません。費用は約1億4000万円。飛行機に乗るだけでも専用機材とスタッフが同行するので、約1000万円かかります。日本の医療技術で十分可能なのに、どうして外国にこんな多額の費用を払わなければならないのか、と困惑してしまいます。微力ながら私の診療所にも募金箱を設置することにいたしました。皆さんのご協力をお願い申し上げます。
「天晴くんを救う会」 043-306-1217 http://www.tensei-aid.com

がんの死亡率・・・右のグラフは厚労省による主ながん死亡(年齢調整死亡率)を示したものです。昭和45年から昨年までの38年間の推移がわかります。男女とも胃がんによる死亡率は減少しました。男性(右図)では死亡率が一番高いのは肺がん。女性(左図)では子宮がんは減っていますが、大腸・肺・乳・胃がんの死亡率はこの数年来ほぼ変わらない状態です。

増田先生のコラム・・・「智恵子抄」ご存知ですか?高村光太郎が最期に食べさせたレモンに、分裂病であった智恵子が一瞬正常になり息を引き取るレモン哀歌は有名です。「…命の瀬戸際に、智恵子はもとの智恵子となり、生涯の愛を一瞬にかたむけた」。光太郎は智恵子と出逢い、その一途な愛により汚れた自分が浄化されたと書いています。結婚20年くらいで智恵子は発病。智恵子の狂気による罵倒や暴力が二人に距離を作り、光太郎は傷つき自分を責めていきます。完璧主義者で愛の為に全てを捧げてきた智恵子が、食事や入浴を光太郎にしてもらう人生の皮肉。約7年の狂気の最後では、そこにいるのに違う世界に住む智恵子が哀しく美しく書かれています。智恵子亡き後、光太郎は智恵子の形はなくとも自分と共に在ると気付き、悲しみを乗り越えます。智恵子が造った梅酒を光太郎が飲む詩、「ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、これをあがってくださいと、おのれの死後に遺していった人を思う」。恋愛に限らずスマートさがもてはやされる現代ですが、格好悪いくらい一生懸命に生きることの美しさを見直してみませんか?
読書の秋、皆様も素敵な本を読んで下さいね。

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