診療所通信
        Clinic News Paper
No.104
2008/3/1

/                 川上診療所
 ボクは子供のころ、百日咳やら喘息やらでよく近所のお医者さんにかかりました。注射が大嫌いで暴れて逃げまわっていたそうです。中学の時に、部活で目をケガして入院したことがあります。安静の意味がよくわからず、動くと目が見えなくなると思いこんで、毎日じっとベッドから動かないでいると、看護師さんが「おとなしい良い子ね。少し歩いてきたら」と。何?。もっと早く言ってくれればいいのに…。自分からちゃんと聞けば良かったんだと思ったのは、ずっと後になってからでした。大学の時には、手指を骨折して凄く痛いのですが、先生は「ダメかも知れないけどやってみよう」みたいなことを言いながら真剣に縫っているので、ボクとしても痛いなんてとても言えませんでした。今こうして思い起こしてみるとずいぶん病院の世話になったものです。父は胃がん、母は結核に膠原病。ボクはなるべくして医者になったのかも知れませんね。勉強はあまり好きじゃなかったし、よくまあ医学部を受験したものだと、いつもながらこの季節になると、遠い昔の学生時代を想い出します。
皆さん、もうすぐ春ですね。

乳がん検診の推移・・・・右のグラフは平成13から17年度までの乳がん検診受診者数(全国)の推移を示したものです。視触診のみによる方法は平成15年度を境に全国的に減少しています。一方マンモグラフィ受診者数は年々増加し、平成17年度からは視触診の受診者数を超えました。千葉県では、マンモグラフィ検診もさることながら、若年者への超音波(エコー)検診も行われており、より精度の高い検診が実施されています。

増田先生のメッセージ・・・・今回はNYのリハビリテーションセンターの壁に書いてあった、作者不明(たぶん患者さん)の詩を紹介します。『大きなことを為せるようにと力を求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。偉大なことができるようにと健康を求めたのに、より良きことをするようにと病気を賜った。幸せになろうとして富を求めたのに、懸命であるようにと貧困を授かった。世の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表わせない願いは全て叶えられた。私は豊かに祝福されたのだ』。私たちの日常でも、絶対これが必要と購入して使わなかったり、無理して続けてきたことを止めても変わりなかったりしたことはありませんか? 私達は虚栄心や世間体などから、自分の本当の欲しい物や望むことがわからなくなっているのかもしれません。失うこと、叶わないことを恐れずに、素直に望んでみませんか? 手に入らなかったときは不要なもの、必要なものは与えられると信じることで、いつでも前向きに生きていけたら素敵ですね。
今回も祐有子先生のエッセイは示唆深いです…。(院長)

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