その 1. |
義母のこと 昭和 11 年生まれ 教員として 35 年勤務 元気でお茶目な性格 2006 年 最初の病院で肺がんと診断、遠隔転移あり 家族は「無治療という選択肢もある」と説明を受けた その後、県内がん専門病院に転院。 2008 年春まで通院治療 2008 年 6 月より在宅ケアを開始 同年 8 月永眠(享年 71 歳) |
その 2. |
なぜ、最後まで在宅で過ごすことができたのか 本人の強い希望があった 義父が覚悟した?! 信頼できる在宅医療専門医につながった 介護保険制度を速やかに活用出来た 医療的にケアが少なかった |
その 3. |
どのようなケアを受けたのか 医療サービス@訪問看護 A訪問診療 B針治療(緩和) 福祉サービス@福祉用具の貸与 A訪問介護 Bケアマネジメント 別居家族は @週末ケア A相談 Bサービス提供者との連絡・調整 |
その 4. | 看取りに向けて確認し合ったこと (1)子ども達と@普段通りに過ごすこと A側に行って話しかけること B変化があっても大きな声を出して騒がないこと (2)大人たち@子ども達に話したことと同じようにすること A緊急時もあわてて救急車を呼ばないこと B積極的に延命治療はしない(本人の希望) |
その日が来て 早朝、夫、息子家族に囲まれて静かに他界。皆、それぞれの思いを語りかけ、体をさすり、歌を歌っておくる。 主治医到着、確認後、看護師とともに着替えエンゼルメイクを、子供たちも手伝った。 |
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その 5. |
悩んだこと(1)病状、治療についての伝え方(再発や転移、治療の限界が乗じた時) (2)義父の支え方(不安、拒否への対応、苦しみの受け止め方) (3)サービス提供者とのかかわり方 |
その 6. |
私たちの支えは(1)義母の姿勢 尊厳・感謝 覚悟(2)専門職の支援 安心 安定(3)学びの場 気づき 立て直し |
その 7. |
看取りが教えてくれたこと (1)家族が本人とともに希望を持ち続けること(2)自ら情報を得ようと行動すること(3)家族以外の第3者の支援を積極的に取り込んでいくこと(4)支える側が意識的に心身の健康を保つこと |
井上記念病院の訪問看護ステーション |
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平成 6 年に訪問看護ステーションを立ち上げ、平成 21 年に休止。平成 30 年訪問看護部門を発足、訪問診療と訪問看護で在宅部門として再開、その間スタッフを増やし令和 1 年 10 月「井上記念訪問看護ステーションライフパートナー」として生まれ変わる。24 時間 365 日 3 人で千葉市内を駆け巡ります! |
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井上記念病院訪問ステーションでの事例 〜受傷から入院生活 退院後に至るまで〜 |
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S さん 94 歳女性 ・胸椎圧迫骨折で入院 ・入院前の生活は長女夫婦と同居 日中は一人で生活。認知症状はあったが、外出以外は自立した生活をしていた・入院当初は落ち着いていたが、環境の変化と痛みの為、せん妄症状が出始め、安静が守れなくなった。夕方から不穏になる。食事もとれず毎日点滴。・訪問看護開始となり、特別訪問看護指示書にて毎日点滴訪問。ほとんど寝ていて会話ができない。点滴が命綱。薬が飲めていない→主治医と相談し減薬。体調回復の兆し。 食べれるように!起きてリハビリを開始、歩けるように!毎日の訪問看護が隔週1回になり、訪問看護でのリハビリも卒業。 現在は週 3 回ディサービスを利用できるまでに回復しました! |
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お看取りをして感じたこと |
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訪問看護部門を発足して 10 ヶ月、この間お見送りした利用者様は4名おられます。 やっぱりみんなおうちがいいんだよね やってみると意外にできたね 迷うのも大事だけど・・・ 帰りたいって思ったら帰ってみませんか? 私たちが全力で協力します |