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私たちの訴えと取組み

6月1〜2日 水俣フィールドワーク報告
―「水俣病はまだ終っていない」「差別の上に水俣病が降ってきた」…現地で実感する2日間に

  6月1日、2日と水俣フィールドワークを行ないました。今回のフィールドワークは3年ぶりですが、この4月に最高裁で水俣の溝口さん訴訟、大阪のFさん訴訟がともに勝利した直後の企画となり、水俣と大阪、お互いに勝利を祝いながらの旅となりました。
 今回も、前回と同じく、水俣病センター相思社にガイドをお願いし、2日間水俣現地で学習と交流を行ない、「差別の上に水俣病が降ってきた」、「水俣病はまだ終っていない」、これらの言葉を実感するフィールドワークになりました。そして、今後もこの問題に取り組んでいく意義と意欲を新たに持つことができる企画となりました。

参加者の感想(一部抜粋)

○印象に残ったこと、新しい発見や学び、これは全てですね。「水俣病は終っていない」、本当に再確認となるフィールドワークでした。これからもこの問題を一緒に取組んでいきたいと思います。

○「水俣病は終っていない」(終らせてはならない)という言葉にイマイチ実感が持てなかった私ですが、今回フィールドワークに行って、若い方への支援をどうしていくかということが新たな問題になってきているということを聞き、「ああ、こういう面でも水俣病は終ってなんかいないんだな」と強く思いました。

○天草から水俣への移住者が差別を受け、しかも水俣病の被害の多かった海岸部に住んでいたという歴史は心に残りました。水俣病が有名になることで他県からの差別もあったと思いますが、元々差別があった中に、水俣病が起こってさらなる差別が生まれているのがよく理解できました。

○水俣の海は本当にきれいで豊かだったかということも現地に行ってよく分かりました。リアス式海岸の豊かな海と、その海の幸で暮らしていた人々の命と生活が、チッソに汚染され、国や県によって汚染がより拡大されたことに本当に憤りを感じました。
 チッソが今も名前を変えて水俣に存在し今も昔と同じ率で地域の人々の働き口であり、そんな水俣で、チッソ、国、県の責任を問い続ける闘いがどんなに大変だということ、そのような困難な中で闘い続けている人々の偉大さに感動しました。
 水俣病に対する差別、水俣の患者会の中での問題、水俣の地域の中での格差と差別、天草からの入居さへの差別といった水俣病が抱える問題を知りました。そして、公害が地域住民の命だけでなく生活、人々のつながりもズタズタにしてしまうものなのだということも実感しました。そんな困難な中で、つながりを大切に頑張っている人々がいることにとても元気づけられました。

○前回参加したときも印象に残ったのは「差別が未だにあること」だったが、今回も「差別」が印象に残った。原田正純さんがいう「差別の上に水俣病が降ってきた」をガイドの永野さんから具体的に聞いたことだが、袋や茂道といった海岸沿いの集落は、天草からの移住者が多く、差別されていたということだ。

水銀を垂れ流していた百間排水口

水俣湾の今を漁船で体感
(組合ニュース5209号  2013年6月17日 より)

(2013年7月21日)

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