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CMCCの使命について
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日本アライアンス教団千葉キリスト教会 牧師
浜野ホスピタル・精神科医
山 中 正 雄 |
先日、精神科外来で一人の男性の悩みを聞きました。
自宅にいると周りの人が自分の悪口をいっているように感じ、不安になる。でも誰かに気持ちを話すと楽になる。それで友人・知人たちに次々と
電話をかけるのだが、あまり話を聞いてくれない。どうすればよいのか、という相談でした。だれもが忙しく動き回り、隣人の話を聞くゆとりを失った社会の現実が見えてきます。
そこで、とりあえず不安を軽減するための頓服薬を処方することに…。その後も不安が強くなり電話をかけてくる度に、彼の訴えを聞いています。
被害妄想で苦しむ、別の女性の悩みも聞きました。彼女は総合病院に入院し、抗精神病薬の投与を受けました。ところが病状はまったく改善しません。
むしろ過鎮静となり、まったく動けなくなったため減薬を余儀なくされ退院。再び自宅での生活が始まります。
彼女は不安を覚える度に、多くの友人たちに苦悩を訴えましたが、理解してもらえず悶々と日々を過ごしました。その頃、筆者が彼女の主治医となり、
投薬を中断し家族の支援を基本とする治療に切り替えました。すると、あれほど強固だった妄想を訴える回数が徐々に少なくなったのです。
家族の絆には心を癒やす力があることを教えられ、感動しました。
一般的には、精神疾患の治療に薬物療法が大変役立ちます。それと同時に、信頼できる隣人と繋がっていないと、
心の中の不安や恐れが強まることも否定できません。現代社会では、だれもが自分の生活を守ることに汲々としているようです。
身近にいる隣人に関心を示し、ありのままの相手を受け入れるほどの余裕がないように見えます。その背景には、
私たちが生きている社会が急速に変化していることがあるかもしれません。マスメディアやネットの情報量は年ごとに増える一方で、
情報の真偽の判別ができず、人間不信と葛藤が高まっています。実際、人生で行き詰まったとき、だれに相談すべきか、分からず迷っている人が多いのではないでしょうか。
これまで、心の病気や苦しみに関する相談は、主に精神科医やカウンセラーが担当してきました。ただ社会全体を見渡すと、
既成の治療体系の枠には納まらない人々も少なくありません。こうした現実を踏まえて、CMCCのようなNPO法人が誕生し、友人として寄り添うCMF
を養成し、あえて受益者負担の原則をとらず、無償で多様なサービス(電話・面接・医療・心理・法律などの相談業務)を提供してきたことはまことにすばらしいことです。
CMCC発足時から、筆者自身も微力ながらボランティア相談員の養成に参加できたことを光栄に思っています。
この原稿を執筆するにあたり、CMCCと筆者の繋がりを振り返ってみました。すると、かつて『医学と福音』誌に掲載された
「神学と精神医学懇話会」の活動報告が発端であったことに気づきました。さらにCMCC発足時期は、筆者が牧師と精神科医の
二足の草鞋を履く生活を始めた頃であり、二つの分野(医療と牧会)を調整する作業が自らの課題となっていた背景もあります。
個人的には熊澤義宣牧師、平山正実医師とも親しい交わりが与えられ、お二人の偉大な人格と深い学識を通して、
CMCCの活動に引き寄せられました。第一級の学者として、それぞれが障害者の神学、死生学という分野を開拓。
新しい視点で一見マイナスと思える出来事(障害、死)から、プラスの出来事(回復、命)が生じることを論証し、
CMCC創立時のリーダーとして活躍されたことが思い起こされます。現在も、その活動が受け継がれていることはうれしい限りです。
そこで、改めて敬愛する先達二人の共通点は何か、考えてみました。それはだれに対しても謙虚で、かつ未知の分野に目を向け、
より良きものを探求されたことではないでしょうか。お互いに学びあい、高めあう信頼の絆を形成されました
。援助活動に必要なものについて、お二人の生き様から筆者は学びました。具体的には、人生を終えるまで学び続ける真摯な態度が挙げられるかと思います。
多くの論文や書物を読むような座学(知識)だけではありません。心を病む人々を生きた教科書として、
謙虚に学ぶこと(実践知)を教えられました。さらに異なる分野で働く人々が互いに協力していく姿勢も挙げられます。これはチームワークの大切さといえるかもしれません。
近年、医療・福祉・教育・司法など様々な分野で、当事者の視点で見る大切さが説かれるようになりました。
CMCCでは、援助者もユーザーも同じ目線で、共に生きることが基本理念として掲げられていることに強く共感しています。
こうした奉仕活動を支えたものは、目立たないところで真実な愛を実践する力ではないでしょうか。キリスト教主義を基本理念として掲げ、教会を母胎として誕生した
CMCCでは、どんな状況にあってもその愛の眼差しが大切にされてきました。揺るがない愛と真実に支えられ、無償の奉仕に参加してきた諸先輩の働きに感謝せずにおれません。
心を病む方々の家庭を訪問し、生活を支える医療・看護・介護の活動は広がっていても、大都会に住む人々の心から孤独と不安が消え去ることはありません。
「最も小さい者の一人」を愛し、大切になさる永遠者の視点を共有し、浮き沈みの多い時代の波を乗り越える実力
がCMCCにあると信じています。
社会にはコロナ禍の後遺症が今も潜在しています。その中で、
多くの非営利団体が運営するため苦闘しているようです。教会などの宗教団体も決して例外ではありません。その現実を見ると、指導者自身が疲弊し傷つき、
精神的な支援を要することもあることが分かります。米国では個人カウセリングだけでなく、様々な依存症の回復プログラムにおいて有用な、
自助グループの活動が注目されていると聞きました。これからは他の支援団体とも協力しながら、グループリーダーを養成し、
次の時代に備えることも必要かもしれません。CMCCがその先駆者となり、今後も日本社会の中で活躍することを期待しています。

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