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「寄り添う」ことと援助者の覚悟



船橋市立医療センター精神科部長
・リエゾンセンター長

   CMCC理事  
宇 田 川  雅 彦

 援助者はしばしば「寄り添う」という言葉を用います。「寄り添う」は、発する側にとっても受ける側にとっても魅力的な言葉ですが、反面、曖昧な言葉でもあります。「寄り添う」とはどういうことでしょうか。それを考えるには、援助される側が「寄り添う」という言葉にどんなイメージを持つか、ということから知る必要があると思います。

 私は精神科の患者さんとそのご家族30名を対象に以下のようなアンケート調査を行なったことがあります。2016年某月某日、私の外来を訪れた患者さんとそのご家族のうち、自分の意思を筆記できる方30名に、「『寄り添う医療』という言葉にどんなイメージを持ちますか?」という質問をしました。その回答を、KJ法を模した方法でまとめてみました。KJ法というのは、種々のアイデアなどをカードに書いたものを、類似した内容ごとにグループ化して段階的に絞り、まとめていく方法です。

 「寄り添う医療」からイメージする内容の回答は、25のグループに分けられる結果をみました。各グループの内容に見合った見出しを付けてみると下記のようになりました。

1) 「優しさ・温かさ・穏やかさ」 14) 「必要な時に必要なケアの提供」
2) 「傾聴」 15) 「そばにいてくれる」
3) 「受容」 16) 「アクセスしやすい」
4) 「理解」 17) 「感謝・好感」
5) 「共感・親身・相手の立場に立つ」 18) 「適切な距離感」
6) 「安心感、居場所がある」 19) 「チームで援助」
7) 「信頼できる、対等な関係」 20) 「垣根を超えた援助の提供」
8) 「個別性と個々の人格の尊重」 21) 「自立の支援」
9) 「適切なアドバイス」 22) 「懐疑的なイメージ(寄り添うなどということができるのか?)」
10) 「全人的ケア」 23) 「本気で付き合う、心から支える」
11) 「わかりやすく丁寧な説明」 24) 「見守られる」
12) 「不安の軽減」 25) 「義務を超えたサービス」
13) 「長期的な支援」

 これら25グループを12グループにまとめ、それらをさらに4つに絞ったのが以下です。途中の段階は省略します。

       1.精神的ケアを重視した全人的医療(援助)。
       2.いつでもケアされる、必要時に援助される。
       3.そばにいてくれる、見守られる。
       4.枠を超えたサービス。

1、2、3は、医療や援助の際に期待されて当然といえば当然の内容です。しかし注目したいのは、4の「枠を超えたサービス」です。個々の回答を見ながら解釈していくと、時間的・空間的・諸条件の枠を超えたサービスが期待できるイメージ、ということのように思われました。
                  
 つまり「寄り添う」とは、通常の、決められた枠を超えてサービスすること。

 実際にアンケートの回答の一枚一枚を読んだ直後に、最も強く印象に残ったのが、この内容でした。いわば時空および諸事情の枠を超えたサービスが期待されること、これらは通常の「仕事としての援助」を超えたところに期待のフォーカスがシフトしているといえます。傾聴、共感、相手の立場に立つ、優しい、温かい、などはもちろん大切ですが、これらは求められて当たり前のことでもあります。しかし、「寄り添う」と述べた途端に、時間的、空間的、義務的、規則の枠を超え、「当たり前」を超えたサービスを受けること、が期待されるのです。つまり「寄り添う援助」とは、通常の援助機関にとっては容易ならざることであり、援助者には、それなりの覚悟を求められるということであると思います。

 CMCCが今までに「寄り添う」という言葉を使っているかどうか確認していませんが、CMCCがユーザーに寄り添おうとするなら、通常の世の中の組織には実行困難な援助こそが、CMCCに期待される「寄り添う」援助なのかも知れないと思います。

 今年5月26日にCMCCに長く深く貢献された梅澤やよひさんが召天されました。心から尊敬していたので、とても寂しいです。いつでしたか、CMCCの総会の席で、CMCCならではの特質を薄れさせてはならない、そうでないとCMCCの最初のCが抜けた"MCC"になってしまう、という主旨のご発言をされていたことが忘れられません。この「寄り添う」という言葉に期待される内容が、通常のいろいろな「枠」を超越してサービスすることであると想定するとき、私の心には梅澤さんのあの日のご発言が思い浮かびます。(天国の梅澤さん、私の勝手な解釈だったらおゆるしください)