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信頼のレッスン



ヴィンヤードカウンセリングルーム室長
CMCC理事・スーパーバイザー

        
佐 瀬  壽 實 香

 「私の手のひらにあなたの手のひらを重ねてごらん?」白くて華奢な先生の手が私の目の前に差し出される。おずおずとその掌(たなごころ)に、私のそれを重ねる。「もっと委ねてごらん」。ほんの少しだけ力を抜いて彼女の手にくつろぐ。「もっと強く押してごらん。私は必ずあなたを受け止めるから!」今度という今度は、自分の手を預けるだけでなく、全身の力を込めて先生の手のひらを押す。先生の手は、びくともしなかった。強く受け止められた手の温もりと慈愛に満ちた先生の笑顔。先生への信頼と親しみ、自らを受容された喜びが、温かくて鮮烈な光のように私の中に灯された。

 あれから20年以上経った今も、その手の感覚は濃厚に残っている。それは、この地上で信頼という扉を開くための訓練。自己と他者を受け入れながら、親しさを築いていくための根源的な体験。

 私たちは、信頼をしていると思っても、実は自分の根底を、拒絶される恐怖感や絶望感、怒りや恥の思いが支配していることがある。信頼の扉を開く前に、そこから立 ち去ることを選ぶ自由を持っている。訓練 を受ける前の自分はそれそのものだった。でも、それは寂しく、悲しい。そんな孤独には飽き飽きだった。拒絶されるかもしれない怖れを手放しながら、信頼することを選んだ時にしかわからない充足感。むしろ、私はそれを選択したい。その中で人生の時を重ねていくことを決めたのだ。

 今、多くの方々に耳を傾けさせていただきながら、その時の訓練がどれほど優れたものであったかがわかる。それによって私の生命がどれほど豊かにされてきたのかも。一人の人として、どのように神と人に向き合うのか? どのように聴き、どのように愛するのか? どのような方との会話も、その信頼感を抜きには成り立たない。

 その気づきをもとに、人と関わり、存在に聴こうと試みながら今に至る。時にそれは、この上ない痛みを引き起こすが、それと丁寧に対峙し続けるときに、それまで味わったことのない喜びに出会うことも事実である。あの信頼のレッスン/ギフトのいくばくかを、今日も出会う方々に分かち合いながら生きたいと切に祈る私がいる。

 さて、コロナが世界に蔓延し始めた頃からカナダ人の友人と電話で礼拝を始めた。今年95歳になった彼女は独立型老人ホーム住まい。当初、通常の礼拝もなくなり、家で缶詰状態になっていた。自立心が旺盛で創造性に満ちた彼女も、さすがに辟易としていた。そんな彼女にほんの少しでも力になれればと思って始めた二人だけの礼拝。毎週2時間、共に聖書を紐解き、分かち合い、賛美をし、祈りを捧げる。電話の音声だけに頼った礼拝は、何よりも、私にとってかけがえのないものとなった。今となっては励まされているのは、むしろ私の方であることがわかる。

 実際には見えない相手が、今、どこで、どのように、何を考えながら、この言葉を発しているのかを、魂の目で見るようにして聴かせていただくこと。信頼をもって相手に自分を開き、委ねること。互いに聴き、聴かれる中で生まれる信頼と敬意。そのことが、彼女と私の関係をどれほど深く、強くしてくれたことかわからない。何よりも、わたしたちを支え続けてくださっている信頼に値する神の存在を思わされ、感謝せずにはいられない。その根底は、どれもこれもあの時の信頼の扉を開いたことにある。

 CMCCはキリスト教超教派の団体である。様々な神学的ベースを持つ方たちがコロナ禍の今も、苦しみの中にいる方々のお話に耳を傾けようとしている。相談員の方々のみならず、事務的な働きをしたり、専門家の立場から貢献したりする多くのボランティアの方々で成り立っているのだ。本来ならば、ご自身や家族のことで手が一杯になってもおかしくない。それでもなお、働きを続けられる方々に対し、この上ない信頼感と敬意とを覚える。昨今では、ご奉仕くださる方々の減少が悩みの種で、心を同じくする方々が与えられることを願っている。そんな中にあっても、今、神様によって集められている者同士が、最大限協力し合いながらご奉仕を続けている。

そこでの私の役割は、相談員の方々に研修を提供すること。ご相談の電話をかけていらした方々に、安心してお話しいただけるような「聴く力」をつけていただく必要があるからだ。相談員の方々はより良き聴き手となるための努力を惜しまない。彼らの真摯さと、ユーザーの方々への敬意と愛にはいつも学ばせられる。そんな彼らに、少しでも具体的でわかりやすい研修を提供したいと努力している。信頼と尊敬をもって語ること。自分が持てるものを心から喜んで、惜しみなく分かち合うこと。その姿勢は全て、信頼のレッスンが基盤になっている。

 あの時の信頼と愛のレッスンの源は、全て神だ。私たちをまどろむことなく見守り、支え続けてくださっている神の姿を思う。私もまた、そんな神に聴き、私に手のひらを差し出してくださった先生の温もりを思い出しながら行こう。私の小さな手を、目の前の誰かに差し出しながら。そして、できるなら先生のように慈愛に満ちた笑顔を残せるようになりたい。殊に、顔を見たことのない方に、声を通して笑顔を残すのには、精進が必要だ。その存在の中心に、信頼と愛の灯がともる必要がある。

 世界がどんな様相を呈していても、与えられた働きに淡々と取り組みたい。これからも相談業務にあたられる方々に対する敬愛と信頼をもとに、極力豊かな学びの場を提供させていただきたい。痛みを覚えるユーザーの方たちが、心を開き安心してお話しいただけるような場を提供することができるようになるために、最善を尽くしたい。聴かれることを通して、誰かの魂に灯がともり、それはどんなに小さくても、信頼と愛に基づかれた世界を構築していく礎になると確信しているからだ。