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コロナ禍の中で依存症について考える



精神科医・放送大学教授
CMCC副理事長

        
石 丸  昌 彦

 2020年初めには存在すら知られていなかった新型コロナウイルス COVID-19は、瞬く間に世界を席巻し、私たちの生活のありようを大きく変えてしまいました。一時的な動揺に留まらず永続的な変化が起きる可能性 もあり、そうした変化の結果として人と人、国と国との分断の深まることが何より懸念されます。そんな中で私たちCMCCの活動は、神様からいただ いた大きな宿題に直面しているように私には思われます。人と人との絆を維持し深めること、分裂のあるところに一致をもたらすことこそが、 CMCCに集う私たちの願いだからです。

 慢性化しつつあるコロナ禍も、いずれ必ず終わりを迎えます。それまでの間、コロナ禍というベールばかりに目を奪われることなく、ベールに覆われて見えにくくなっている根本的な問題に、しっかり目を向けておかねばなりません。直視すべき根本的な問題とは何か。多くの選択肢の中から、ここでは編集者の助言に従って依存症をとりあげることにしました。

 依存症について、実は前号でも触れています。このテーマがなぜそれほど重要なのか、以下あらためて考えていきましょう。
第一に、問題の大きさ。                    
 依存症に陥った患者の数やそこから生じる医療その他の問題は、非常な勢いで増え続けて大変な規模に達しています。たとえばアルコール依存症は、 ICD(国際疾患分類)の診断基準を満たす者だけでも全国で100万人弱、その疑いのある者は300万人に及ぶと推計され、ハイリスク飲酒者は1,000万人を超え ると見られています。1)

 アルコール問題に起因する経済的損失は年間4兆円を超えるとも言われますが、これらは治療に要する医療費や事故・怠業などの結果を計上したものに 過ぎません。私たちが援助の現場で見聞きしている、より深い問題、たとえば親の飲酒による家庭生活の崩壊や、それに由来する子どもの成長への 深刻な悪影響などは、金銭で評価することができないため、ここには含まれていないのです。アルコール以外の依存症までも視野に入れるなら、 社会の負荷はどれほどの大きさになることか、そら恐ろしくなってきます。
第二に、問題の多様化。                   
 依存症と言えばまずアルコール、それに覚醒剤をはじめとする薬物依存症など、物質に対するものが以前はほとんどでした。ギャンブルや買い物 など特定の行為に対する依存も指摘されていたものの、これを依存症に含めることには強い異論がありました。

 この状況を大きく変えたのは、インターネットやSNSが爆発的に発達し、世界中の人々に浸透したことです。その便利さと快適さは人を虜にし、 とりわけゲームから離れられなくなる人々が各国で続出しました。ICDがこの状況を重く見て、「ゲーム障害」という新たな疾患名を記載したことは、 前号でも述べたとおりです。一方では脳内報酬系2)に関する研究が進むにつれ、この神経回路が物質依存ばかりでなく、習慣的な問題行動にも関 わっていることが明らかとなって、行為依存の概念はいっそう確実なものになりました。

 今では依存症に含まれる疾患の種類は飛躍的に増え、多くの社会活動を巻き込むものとなっています。アルコール依存症や覚醒剤依存症は比較的 限られた社会層の問題でしたが、ゲーム障害やインターネット依存はあらゆるユーザーに共通の危険であり、とりわけ子どもたちの身近な脅威であ ることが恐ろしいのです。
第三に、治療が困難であること。              
 アルコール依存症の場合には「否認」という病理が働くため、そもそも本人が問題を自覚して援助を求めるまでが簡単ではありません。 アルコール依存症患者が100万人近く存在するものと推定されながら、実際に治療を受けている人数は5万人にも満たず、 ほとんどの患者が未治療のまま飲酒生活を続けているという驚くべき状況は、ここに一因があります。

 また、仮に医療につながることができたとしても、特効薬や確実に有効な精神療法が存在するわけではありません。 事実、アルコール依存症は、20世紀のはじめまでは回復不能な不治の病と考えられていましたし、今でもそう考える人が医療関係者の中に さえ多いのです。そんな中で、断酒会と呼ばれる自助活動は一条の光明を提供し、その独特の方式は薬物依存症や各種の行為依存、 摂食障害などに応用されていますが、依存症の克服までには忍耐を伴う長い道のりを覚悟しなければなりません。
第四に、信仰との関連。                    
 これはCMCCの活動においてとりわけ重要な視点です。

 依存症は、前号でも書いたとおり、飲酒をはじめとする不適切な生活習慣を止められないことが病気の本質です。生活習慣病の一つ、 それもひときわ悪性度の高い生活習慣病と言えるでしょう。そのように悪しき生活習慣から離れることのできない当事者を前にして、 私たちの心の中に相手を裁く気持ちが起きてくるのは、ある意味で自然なことですらあります。しかし、裁きは何も解決せず、 癒やしにも援助にもつながりはしません。

 「わたしは自分のしていることがわからない。自分の欲する善は行わず、欲していない悪を行っている。」(ロマ書7:15)

 パウロが看破した人の罪の現実を、依存症という病は鮮やかに描き出してみせます。それは罪に囚われた私たち自身の姿でもあるのです。

 援助にあたって裁きの衝動を抑え、救いを求める魂を当事者の中に見てとることができるかどうか。行為の愚かしさと行為者の人格の尊厳 を区別しつつ、配慮をもって対処することができるかどうか。依存症の援助にあたっては、信仰者としての私たち自身の姿勢がとりわけ厳 しく問われることになるでしょう。

 コロナ禍への対策として「外出自粛」が叫ばれ、引きこもった生活が推奨される中、各種の依存症が静かに拡大し深化している可能性が 濃厚であると私は思いますし、その気配を診療の場で感じてもいます。いずれコロナ禍というベールが取り除かれるとき、私たちはあらため てこの問題と本格的に取り組まねばならないでしょう。その日に備え、機会あるごとに依存症についてよく勉強しておきたいと思います。


 学ぶべきことは実に多くて限りがありませんが、必要な時間と機会はきっと神様が備えてくださるでしょうから。

 
1)「アルコール関連問題を正しく理解しよう」 http://alhonet.jp/problem.html

 2)「脳内報酬系」:特定の行動に対して「快」の応答を返すことにより、その行動を誘発促進するような脳の回路。
  本能行動や環境適応において重要な役割を果たす一方、依存症の病理にも関連することがわかってきた。