藍生ロゴ 藍生6月 選評と鑑賞  黒田杏子


思ひ出の翼に重し鳥帰る

(新潟県)肥田野由美
 帰る鳥を詠んだ句は数多くあります。この句、由美さん自身の人生が帰る鳥に投影されているところ、私の心に残りました。作者と帰る鳥が一体になっている。思い出の翼に重し。六十歳還暦を越えられた女性が背負っているよろこびとかなしみと。しかし、鳥達は力の限りを尽くして帰ってゆく。そのいきもの達には前進してゆく雄々しさもあります。重厚な作品として今月の巻頭に推します。この句を起点に、この作者がさらに句作に全身を傾けつつ、多面的な活動に打ち込まれることを期待致します。



早春や阿修羅凛々逢ひにゆく

(奈良県)奥 良彦
 奥さんの投句の文字は美しく気品があります。太字の黒の筆蹟にはほれぼれとしてしばし見惚れるほど。さてこの句、奈良市にお住いの作者が興福寺の阿修羅を拝観に行かれるのですから、意図は明快です。まことに個人的なことですが、私は阿修羅像の頭部の写真を高校の「世界史」(上原専禄監修)ではじめて目にしたのです。切手ほどの小さなカットの下に「天平時代の少年の想いは何か」とのキャプション。眉根をひそめたその美少年の面ざしに釘付けになった私はそののち「大和古寺巡礼」を開始。大学時代の春休み、夏休み(四年生の時を除く)を費やして、見るべき古寺、巡拝すべき仏像にまみえることが出来たのです。阿修羅ときけば、いまも心が高鳴ります。大和に暮らす奥さんのお心に共鳴、羨ましく思います。



誰も居らぬ山川に雛流しけり

(岩手県)二階堂光江
 物語性のある、そして印象鮮明な句です。この句の場面を想いますと、さまざまな事が想われます。雛・雛まつりなどの言葉もその行事も地球上の他のどの国にもありません。もちろん「雛流し」という言葉も行事も。名だたる場所での行事でなく、ここに詠まれたようなひっそりとした場所でのこと。山川に。この言葉に心を打たれました。


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