藍生ロゴ 藍生10月 選評と鑑賞  黒田杏子


おほかみの咆哮ののちいくさ無し

(東京都)董 振 華

 董振華さんのこの句が「藍生」30周年その10月号の巻頭句であることに、よろこびと同時に深い感慨を覚えます。董振華さんは金子兜太先生の秘蔵っ子とも言うべき中国籍の俳人。東京在住、翻訳者として活躍されていますが、兜太先生の中国の旅のすべてに同行、先生と金子皆子夫人の信頼を一身に享けてこられました。この句は金子先生追悼とも受けとれます。「海原」同人、「藍生」会員として、こののち俳句作家としての前進が期待されます。「董振華をよろしく。彼には才能があるし、人間的に信頼できる」先生は私に向って何度もくり返されました。



埋もるる覚悟が足らぬ竹落葉

(京都府)河辺 克美
 音も無く降りつづける竹落葉。その昔、嵯峨野の祇王寺を訪ねた折、竹落葉という季語の現場に立った。と思い、しばし、その場に立ち尽くした日のことを憶い出しました。河辺さんは凄いですね。竹落葉とご自身を冷静に見据えて一句を仕立てられたのです。大方は地に降り積もりますが、中にはまた舞い上がるものもあります。落葉の中でもっとも軽いからです。大地に落ちても、落ち着かないその光景を「埋もるる覚悟が足らぬ」と一喝。その言葉は自分自身への言葉ともなっている。謙虚に、出しゃばらない。自分を誇示したりしてはならない。京女河辺克美の矜持を表明された句。と私は受けとめました。



雲の峰空に輝く月と星

(新潟県)斉藤 凡太
 この雲の峰は出雲崎と佐渡の間の海上に聳える夜間のもの。漁師として夜も海上に身を置いてこられた斉藤凡太さんならではの作品。月と星座が輝いている深夜。何とも豪勢な雲の峰が立ち現れては崩れ、また聳える。凡太さんの人生の原風景。もう舟で海上に出られることは無い94歳の俳人の眼と心の奥に、これは消えることの無い絶景として輝き続けるこの世の光景なのだと思います。


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