藍生ロゴ 藍生10月 選評と鑑賞  黒田杏子


雲の峰より来たりけり郵便夫

(東京都)秋山 洋一

 郵便というものがそれぞれの家に、ひとりひとりの許に間違いなくきちんと届けられる。これは実にありがたいこと。すばらしいことである。ローマに暮らす茶人の野尻命子さんは出した手紙が行方不明になったり、待っている手紙がずっと経ってから届くようなことがしばしばあるのだと嘆いている。
 この句はともかく郵便夫をつとめる人物への讃歌。雲の峰よりきたりけり。私ははるか昔、南那須の村の子供であった頃の往還をすたすたと歩いてやってきて、手紙や葉書を手渡すと、縁側で母の差し出す番茶とお茶受け。それは干しいもであったり、かき餅であったり、沢庵であったりしたものを、眼を細めて満喫していたおじさんの姿を憶い出す。秋山さんは詩人。日本のみならず、中国の奥地やチベットなどの郵便配達人のイメージを心に描いて詠み上げているのかも知れない。



母の死を二年後に知る簾かな

(東京都)安達 潔
 二年ののち。何か事情がある人。それを簾にことよせて句に仕立て、藍生集五句の内に入れて投句された。活字として遺しておきたい安達潔人生の一行なのだと思う。めったにあることとは思わないけれど、そういうこともあるのだろうと受けとめる。このような句にどんな季語をあっせんすべきか。作者はいろいろと考えたにちがいない。私はこの簾で頂いた。エッセイストでもあるこの人の句として、どこか文人俳句の趣きも感じられる。



赫とひるがへりて消ゆる負け蛍

(神奈川県)高田 正子
 高田正子さん渾身の一句であろう。私より二十歳も年下のこの人。子供の頃には農業の普及で、蛍がめったに見られなかったのではないか。蛍まみれの小中学生時代を過ごした私とは天と地の差。しかし、俳人としてこの人はあちこちでたっぷりと見られるようになった蛍を意欲的に追いかけ、句作に挑んでこられた。その集大成がこの句になった。蛍合戦という言葉もあるし、恋蛍という季語もある。これは現代の俳人が詠み上げた現代の蛍の句。「藍生」連載中のこの人の論考に私は激励を受けている。六十余年の俳句人生が季題別に分解され、再構築されて幻燈を視る如く眼前に展開される。こんな僥倖が私に訪れるなどと考えてもいなかった。蛍まみれの私の句作人生を知った正子さんが、類例の無いこのような蛍の句に到達されたとすれば、四十年の句縁の賜物としてよろこびたい。


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