藍生ロゴ 藍生7月 選評と鑑賞  黒田杏子


雛等にわれより永き未来あり

(京都府)滝川 直広

 雛段に並ぶ雛を眺めていて、自分に残る人生の時間をふと考えた。言われてみれば、雛のいのちは永い。人形というものの存在はそれだけに怖い。これは私が桜花巡礼を重ねていた折に、山桜の古木のほとりに身を置いたときのおそろしさにもどこか似通うものだ。樹のいのち、人のいのちなどという句も句帳に書いた記憶がある。この句に戻れば、壮年期の人生を生きる滝川直広という俳人が雛、雛人形というものとこれまでになく深く出合ったその記録である。吉徳ひな祭俳句賞の選者を三十三年余りつとめてきたが、このような句には出合っていない。古雛、古代雛…。雛の背負ってきた過去の時間に想いをはせた句は無数に毎年寄せられてきた。この句をバネに作者の句境は必ず深まり前進する。



恐しき夢から覚めし春の昼

(奈良県)島田 勝
 去る四月三十日午前五時三十一分島田さんは永眠された。「藍生集」への投句は今月を以って終りとなる。連休明けに島田夫人よりFAXがとどき「病状急変。家族も事態を受け止められない状況なので、しばらくののち、先生に手紙を差上げますので、お許し下さい」と。三月号には島田さんからの手紙も掲載させて頂いている。又、全国大会京都にも参加申込みの手続きをして下さっていた。日経俳壇五月二十日付には、〈甘夏を剥く妻に指からめたし〉と看取りを尽くされる夫人への感謝と愛情あふれる一行を寄せてこられた。医師に発病を告げられ、余命を提示されてのち、この人の俳句に対する打ち込みはめざましいものであった。「藍生集」と日経俳壇への投句に接して私はこの人から深く教えられ、選者として鍛えてもらった。という想いがある。島田勝さんに出会えたことに感謝している。この人は天上でも詠み続ける。



今朝咲きし桜に夜の来りけり

(京都府)田中 櫻子
 櫻子さんの桜の句としてこの句は残る。すばらしい句である。一見何でもない句のように見えるが、この人は長年にわたって、桜の句に格別の思いを抱いて詠み続けてきた。私はそのことをよく知っている。常照皇寺(九重桜のある)の近くの役所に勤務されていた頃、私はこの人に毎日、朝夕花の木に通うことをすすめ、そのことを彼女は若くして実行された。そんな経験もこの一見さりげない句には生きているのである。初桜の夜桜。櫻子という名前を持つ俳句作者の秀吟である。


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