The Customized Car Contest
カスタムカーコンテストを見て 

TOP : LYCAON made by Carrozzeria Watanabe.
They semi-won the championship in the contest of the customized car. 
(C)Photographs by Hirofumi Makino (Left side)
 第3回までのレーシングカーショーは、どちらかというとメーカー中心のショーで、前年度の日本グランプリなどで活躍した各メーカーのレーシングカーやプライベートチームのレーシングカーをメインとした展示だったと思います。
 しかし、前年に当たる1970年シーズンは、ニッサン、トヨタなどのメーカーチームが排ガス規制などの理由を盾に、日本グランプリへの参戦を中止。その影響で、日本グランプリ自体が消滅してしまい、まさに日本モータースポーツ界にとっての試練の年となってしまいました。
そんな影響でしょうか、第4回東京レーシングカーショーの展示内容は大幅に変更され、前年同ショーで発表されたEVA CAN-AMやマクランサ・クサビなどが好評だったことを重要視し、第4回では、新進国産コンストラクターの作品発表の場としてブースを増やし、新たにカスタムカーコンテストを行い、国産コンストラクター育成の場とする方向を強く打ち出していったのです。

 上の写真は、カスタムカーコンテストにおいて準特選となった“リカーン”であります。ダーク・ブラウンに塗装されたボディは、どちらかと言うと60年代の雰囲気を持ったデザインで、フェラーリ330P4やフォードP68などを彷彿させるラインを持ったボディだと思います。


TOP: Blue Shark III.
(C) Photograph by Hirofumi Makino.

TOP : '70 March 707 Can-Am Car.
(C) Photograph by Joe Honda.
 当時のCAN-AM人気は大変なもので、前年のEVA CAN-AMといい、今回のブルーシャークIIIといい、まさに憧れであったと言えるでしょう。
しかし、モノマネはどうかと・・・。ちなみにこのブルーシャークは、ミニ7と思いきや、フェアレディSR用2リッターを積んだりっぱなジュニア7。でも、FRですが・・・。

TOP : Falcon 71FJ.
(C) Photograph by Hirofumi Makino.

TOP : Tetsu's Lotus 69.
 しかしながら、CAN-AMカーデザインに限らず、当時の国産コンストラクターの手本は、外国マシンだったことがこの写真からも分かります。
FJ(軽自動車エンジン搭載のフォーミュラジュニア)は、日本独自のカテゴリーとして発展してきました。オトキチ・スペシャル、アウグスタ、EVA 3A、アローS1、ベルコ96Aなど当時のFJレースは、大人気を博していました。
TOP : FantomFJ(Leftside), EVA 3A, AugstaMKII
(C) Photographs by Hirofumi Makino.

TOP : MANA 06 FJ.
It won the championship in the contest of the customized car. 
(C) Photograph by Hirofumi Makino.
 数多く展示されていたFJマシンの中で、特に輝いていたマシンが奇才“三村健司”作のマナ06でした。
未来的なデザインをもつこのFJは、ジュラルミン製のモノコックシャーシを持ち、エンジン(ホンダ空冷500cc)をストレスメンバーとするF1並みの構造を持つ本格的なもの。特選に選ばれるべくして選ばれた、今ショーのハイライトと言っても良いマシンでありました。

GO TO NEXT PAGE
次のページへ続く



GO TO TOP

GO TO TOP PAGE

(C) Photographs by Hirofumi Makino.