特集にあたって


 65号特集

韓国併合100年・大逆事件100年・工場法99年

        『飛礫』編集委員会

 

   昨年(2009)9月15日、韓国の李明博大統領が韓国併合条約から100年となる2010年中に天皇の訪韓を望むと表明して以降、日韓両国の支配階級とマスコミが動きだした。『東亜日報』(日本語電子版)は1月1日、「日王訪韓に『問題ない』64・2%、『時期尚早』31・1%」との世論調査を報じ、日本のマスコミもこの記事を報道した。すでに、民主党・小沢一郎幹事長が昨年12月訪韓したとき天皇訪韓に賛意を示し、東大名誉教授の和田春樹は昨年、雑誌『世界』4月号で天皇訪韓を提案している。

 いうまでもなく、天皇の訪韓は一度も実現していない。日本が戦争犯罪と植民地支配について真相究明、謝罪、賠償、責任者の処断という果たすべき責任を何一つとっていないからだ。また、天皇による「謝罪なき『謝罪外交』」というペテンで責任をいっさいなかったことにしようという日本の政府や支配階級の思惑を、韓国や朝鮮民主主義人民共和国(以下、「共和国」)の民衆が許さなかったからである。

 いま、それを突破しようという動きが日本と韓国の支配層に出てきた。「いま」というのは、「韓国併合100年を期して」という点、つまり今年が「日帝36年」という植民地支配の起点としての韓国併合から100年という点であり、もう一つが戦後一貫して政権党であった自民党政権が民主党政権に交代した点である。ここに突破のモメントを求めたのだ。これによって、民主党政権下の日本の支配階級は戦後引きずってきた「後ろめたさ」から解放され、アジアと世界に覇権と利権を求めて心おきなく軍事・政治を展開できると考えている。そこには日本が果たすべき戦争責任・植民地支配責任についての痛切な反省は微塵もない。「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」という盧泰愚大統領を迎えた宮中晩餐会(2000年5月)での天皇アキヒトの「お言葉」の延長線上で、すべてを「無しにする」という思惑が垣間見えるのだ。もちろん、この思惑には、「共和国」の排除や、米国の極東軍事戦略に裏づけされた東アジアの帝国主義的秩序が前提にある。この秩序を天皇制帝国主義日本もその一翼を担ってきた。朝鮮戦争に加担し、「共和国」との国交回復を拒否し、日韓条約で朴正煕軍事独裁政権を支え、南北朝鮮民衆の戦後補償要求をことごとく拒否し、第二次朝鮮戦争の準備を進めてきたのである。
 もっとも重要なことは、こうした「決着」を、誰でもない天皇におこなわせるということである。絶対主義天皇制国家がおこなった韓国併合と日帝三六年の決着を、象徴天皇制国家が「併合100年」におこなうのだ。私たち日本の民衆は黙っていてよいのか。

 1910年はまた、幸徳秋水ら社会主義者・無政府主義者が明治天皇の暗殺を企てたとして大逆事件をでっち上げた年である。翌11年1月には24名に死刑判決、12名を処刑した。そして2月には処刑とひきかえにいわゆる「済生勅語」を出し「慈恵思想があらわな形でスタートし」、つづく3月「工場法はこのような状況のなかではじめて成立をみた」(隅谷三喜男『日本労働運動史』有信堂 1966年)。民主主義と社会主義がその芽のうちに摘み取られたのである。それがいまなお日本の人民を呪縛する天皇制タブーと萎縮する精神(奴隷根性、長いものに巻かれろ)、人民主権と基本的人権の意識の希薄さの出発点となっている。侵略戦争・植民地支配・民族排外主義・虐殺を含む弾圧・天皇慈恵思想・民主主義圧殺・奴隷根性はそれぞれ別個のことではなく、一つとして、天皇制に包摂された日本人民の歴史的債務あるいは哲学として、100年の歴史をもっているのである。

 本特集「韓国併合100年・大逆事件100年・工場法99年」は、私たち自身の解放のために、この点を明らかにすることにある。それは、新たな侵略戦争の参戦を阻止できず、天皇制や朝鮮問題(民族排外主義)を回避するという思想状況を直視することだ。特集を「韓国併合100年」ではなく、「韓国併合100年・大逆事件100年・工場法99年」とした由縁である。読者の活発な討論を期待する。


 

 (本誌編集部)

 

 



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