別冊飛礫6号発行にあたって

別冊飛礫6号 発行にあたって

                                                                                                      
『飛礫』編集委員会

 われわれは『飛礫別冊5』(18年1月)の発行にあたって次のように記した。
  「天皇代替わりという『国家最大の慶事』は、戦争と同時進行する。同時進行は偶然ではなく、それが新たな天皇制の本質であり、日本とアジア、世界人民を規定する」。
 安倍政権は次期通常国会での9条改憲発議に執念を燃やしている。日米同盟を強め米国の侵略戦争に参戦するため憲法基盤を盤石(ばんじゃく)にしたいのだ。すでに「陸自に『日米共同部隊』新設 米軍・自衛隊、一線越える一体化」(毎日新聞16年10月26日夕刊)が進んでおり、現在策定中の新防衛大綱や中期防に見られるように、対中国戦争や新たな朝鮮戦争を念頭に護衛艦「いずも」の空母化や、他国打撃能力をもつ戦闘機F35B、敵基地攻撃長距離巡航ミサイルの導入など専守防衛の枠をはるかに越えた武器の購入に必死である。
 こうしたなかの19年5月、新天皇が会見(「公的行為」)するだろう初の国賓がトランプ米大統領となるようだ。世界各地で戦争と紛争をひき起こしているトランプの国賓招待が「『強固な日米同盟』を印象づける」(政府関係者)というのだ(毎日新聞18年12月5日)。新天皇徳仁(なるひと)は「国際親善」の名のもとに「戦争の同盟者」としてデビューするのである。それは支配階級が天皇代替わりに期待した天皇像――戦争天皇(制)に他ならない。支配階級はこれからも徳仁に「テロ」と戦争にかかわるよう求めるに違いない。
 しかし、こうしたおぞましい事態は、戦後七十数年のわれわれ日本の労働者民衆の敗北の結果でもある。それだけにいま、戦後史の、つまり戦後民主主義の捉え返しが真剣に求められる。『飛礫』編集委員会が、「戦後民主主義と戦争天皇制」を『飛礫別冊4』、『飛礫別冊5』のテーマにしたのは、それゆえであった。これは天皇代替わりとの闘いにとどまらず、「戦争の時代」に入っても繰り返し検証せねばならないテーマだと考えている。
 前2冊に多くの共感をいただき、感謝するとともに、『飛礫別冊6』の発行が当社の都合で4か月余も遅れたことを、執筆者と読者のみなさまに心よりお詫びいたします。各々の論文は事柄の本質を提示した優れた論考でありますので、闘いの討議資料としてぜひ役立ててくださるようお願いする次第です。
 

 

別冊飛礫5号 発行にあたって

飛礫』編集委員会

 

「国家の形と政治の方向を天皇が決める時代に入ったのか」(参戦と天皇制に反対する連続行動ビラ、16717日発行)。
 2016年713日、NHKが天皇明仁の「生前退位」の意向を報道したとき、私たちはこのように感じ、恐怖した。日本が再び、天皇制軍国主義(戦争国家)の時代にひきもどされはしないか、と思ったのである。
 「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」(傍線は引用者)。
 2016年88日、天皇明仁がテレビを通じて全国民に直接訴えた結論である。天皇制の存続に危機感をもつ明仁が、天皇という「国家最高の権威」を使って「生前退位をにじませて」象徴天皇制の安定的護持と日本の未来の建設を、政府を跳び越えて、憲法で禁止されている「国政に関する権能」を使ったのだ。これは明らかに、天皇裕仁が1945年8月15日に行った、敗戦の告示と日本国家・人民の行く末を指し示した「玉音放送」(「大東亜戦争終結に関する詔書」)に続く重大放送で、あたかも日本国の主権者の如く、天皇の権威・権力を全国民に示したのである。それは、政府と国民に皇室典範の改定、もしくは「生前退位法」の制定を「命令」したに等しいものであった。事実、「当時、安倍晋三首相の周辺は『天皇に弓を引く政権だとなれば、内閣が倒れかねない』と漏らし、官邸は退位特例法の整備へ動いた。政府関係者は『天皇の「パワー」が改めて示された』」と恐れおののいたのである(朝日新聞デジタル17111日)。
 もちろん明仁は「国政に関する権能」の行使(「権力行使」)がその禁止条項(憲法4条)及び憲法尊重擁護義務条項(憲法99条)に違反していることは知っていた。それでもあえて行使したのだ。皇室制度に触れれば憲法4条違反となるから「控える」が、「個人として私的な考え」の発言なら憲法違反にはならないとの詭弁を弄して、脱法行為(「権力行使」)を堂々とおこなったのである。
 この「権力行使」は昨年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の成立となって結実し、政府は2019年4月30日の明仁天皇退位/上皇「就任」、5月1日の徳仁新天皇即位と改元、同年10月の「即位の礼」、11月の大嘗祭まで天皇代替わりの日程を決定した。
 ところで、一昨年7月のマスメディアの報道以降、とりわけ8・8天皇メッセージ以降、「天皇に弓を引く」ことがタブーと意識した安倍政権は一方で、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置して女性天皇阻止策動を行い、他方で、大島理森衆院議長を中心に、「静謐な環境のもとで審議」「生前退位問題を政争の具にしない」を方針のもとで法案の国会提出以前に与野党の大方の合意にもっていったのである。明仁の憲法違反を弾劾する意見や天皇制そのものへの異議申し立てなど一切封じたのだ。そして与野党からマスメディアまで、天皇明仁の脱法行為(ペテン)をいかに合法化するかに全力をあげたのである。政府、与野党、財界、マスメディア、さまざまな社会的諸団体が、天皇が政治を決める国家と社会の形成に向けて一丸となって動き、異議申し立てを封殺したのである。それは「対立する」かに見える極右安倍政権も天皇明仁との「二人三脚」であり、これからの「天皇政治」の形を示したのだ。かつて天皇制に批判的であった日本共産党や、進歩的言説で社会の「良識」を示してきた、いわゆるリベラル知識人も、8・8メッセージを賛美した、すくなくとも反対することはなかった。こうして、「権力行使」を含む「天皇の象徴としての行為」は、天皇の「権威=権力政治」のツールとして国家、法、社会の公認のものとなり、戦前とは異なるにしろ、新たな「天皇政治」とあからさまな総翼賛体制がつくりだされたのである。それにしても、天皇明仁の人間性の賛美、明仁が強調してやまない「象徴という行為」と今回の「権力行使」に対する絶賛、「平和天皇」「護憲天皇」の大合唱など、これほどまでの天皇賛美は、たぶん、戦後初めてのことではないだろうか。前回の天皇代替わりは、国内外から発せられた戦争犯罪人天皇裕仁糾弾の声や、竹下登首相の天皇裕仁終戦の「御英断」の強調と天皇の侵略戦争責任についての言い訳が目立つものであった。今回ほどの明仁と彼のメッセージの絶賛のようなことはどこにもなかったのである。
 いうまでもないが、こうした天皇の「政治権力」の行使と国家・社会の天皇総翼賛は、独占資本・自民党・国家官僚など日本の支配階級が推し進める戦争国家の建設、中国や朝鮮民主主義人民共和国を仮想敵国とした戦争準備と排外主義煽動、核戦争のボタンを押しかねない帝国主義者・トランプ米大統領との強固な同盟を誇る安倍晋三極右政権の好戦的態度、そしてそれらの集約としての憲法第9条改悪(破棄)の強行突破と一体である。天皇制と戦争が同時進行しているのだ。この同時進行は、「一等国への道」をひた走った「明治」以来の日本の国家権力と資本主義の特質であり、アジア諸人民と日本人民の夥しい無惨な死をもたらしたのである。
 8・8「意向表明」で天皇明仁が強調し、メディアやリベラル派知識人が絶賛し、政府も復古派・極右勢力もしぶしぶ認める「象徴としての務め」(「公的行為」=憲法違反)が退位特例法に書き込まれた。「象徴としての務め」とは、これまでは、戦没者への追悼と慰霊、遺族や被害者への心遣い、震災や公害(企業害)などの被害者への慰藉、「謝罪なき謝罪」の天皇外交、大震災・原発大事故時のテレビメッセージなどをいうが、それは、日本の国家と資本主義がつくりだした戦争犯罪や企業犯罪に対する民衆の怒りを抑え込み、逸らし、慈愛に回収する人心の収攬であった。それはまた、自衛隊海外派兵の地ならし、さらに「国難」に際しての全国民への指示(説教、号令)に他ならなかった。しかし、これからはこれらにとどまらない。対外戦争が一般化するなかで、新たな朝鮮戦争への参戦が現実になるなかで、また憲法9条の改悪のなかで、自衛隊ははっきりと国軍=天皇の軍隊(皇軍)とになるのは目に見えている。これまでのように、天皇明仁がイラクやカンボジアの戦場で「戦死」したPKO派遣要員や外交官を慰霊・顕彰し叙勲したことや、これら戦場に派遣された自衛隊員を御所に招き慰労・激励することにとどまることはない。戦死者の慰霊顕彰、靖国神社への自衛隊戦死者の「合祀」と天皇の参拝は現実のものとなろう。明仁も尊敬するイギリス王ジョージ5世が第1次世界大戦中、連合艦隊や根拠地訪問7回、フランス遠征軍訪問5回、各種の視閲450回、病院訪問300回、勲章親授5万回と精力的に軍隊などを激励し続けたように、戦争と自衛隊との関係を飛躍的に強めるにちがいない。また昨年8月、スペイン国王フェリペ6世夫妻がサグラダ・ファミリア教会で行われた「連続テロ」犠牲者らの追悼ミサに参列したように、「テロ」と戦争に積極的にかかわることが求められるだろう。なぜなら、このような天皇こそ支配階級は必要としているのだ。だから、戦争の意志と総翼賛体制の確立をこの天皇代替わりで成し遂げなければならないのである。まさに戦争天皇制の確立である。
 現在の事態は、戦争時代の突入と天皇Xデーを前にして『飛礫』別冊4号を出した2014年9月よりもはるかに戦争に近づき、支配階級にあっては天皇制の転換がますます必要としてきた。別冊4号で、天皇制の転換とは「国政に関する権能を有しない」象徴天皇制から「戦争と国難をになう」元首天皇制(戦争天皇制)への転換であると述べた。そしてそれは、天皇制と一対の関係、天皇制と折衷された関係、あるいは融通無碍な関係として定立されてきた戦後民主主義の結果であったとも述べた。この4号の観点は今回発行する別冊5号の観点でもある。
 別冊5号のためにお願いした論文は、喜ばしいことに非常に多く寄せられ、1冊に収まらなかった。そこで、編集委員会としては別冊5号に続く別冊6号を出すことにした。別冊6号では、5号に収録できなかった論文と新たにお願いする論文を加えたものだ。そうすることで、読者の要請に応えたい。別冊6号は5月ごろの発行予定である。
 くりかえすが、天皇代替わりという「国家最大の慶事」は、戦争と同時進行する。同時進行は偶然ではなく、それが新たな天皇制の本質であり、日本とアジア、世界人民を規定する。われわれは覚悟しなければならない、と改めて思う。天皇代替わりに反対!終わりにしよう天皇制の闘いが昨年1126日に関東圏を中心に、同月29日関西圏で始まった。本誌も全力で走りたい。ぜひ、今回出す別冊5号、続く別冊6号の購読をお願いしたい(別冊4号未購入の方は4号もお願いしたい)。ぜひ闘いの討議資料として役立てていただきたい。

 

 (本誌編集部)

 

 



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